暗記して


 刻み終えたチョコレートは、ボウルに入れた。天狗は、隣にいる泰継を見る。
 彼は慎重な手つきでメレンゲをかき混ぜていたが、視線に気付いたのか、こちらを向いてくれた。
「泰継。これから、何をすれば良い?」
 その目を見つめながら、天狗は尋ねた。
 二月十四日。バレンタインデーである今日は、共にチョコレートムースケーキを作り、ふたりで食すことを決め
た。泰継はスポンジを、自分はムースを担当している。
 レシピは泰継が全て暗記してくれたので、彼に訊けば次の手順も分かるはずだ。このようなとき、賢い泰継は
とても頼りになる。
 手を止めて、彼はボウルを覗き込む。そして、刻んだチョコレートを確認した後、口を開いた。
「では、温めてくれ、天狗」
 泰継は、真っ直ぐな瞳をこちらに向ける。
 彼の目は、とても綺麗だ。きっと、そのせいだろう。
 使い古されているであろう対応が、頭に浮かんだのは。
「――よし、分かった」
 少し、躊躇いはある。だが、泰継に近付きたいと思う。だから。
 小さく返答してから、泰継がもう一度メレンゲをかき混ぜ始める前に、そっと抱きしめた。
 天狗は、その腕に少し力を込める。彼は驚いたのか、一瞬身体を震わせた。そして。
「……チョコレートを、だ」
 小さな声で、間違いを指摘した。
「そうか、すまんな」
 本当は、湯煎のことであると分かっていたが、どうしても彼に温もりを感じて欲しいと思ったのだ。
 腕の力を、緩めようとした、そのとき。
「だが――後でも良い」
 柔らかな声が、聞こえて来た。もう少し、泰継は腕の中にいてくれるらしい。
 天狗の胸にも、温もりが広がって行く。
「……それは良かった」
 感謝の意を込めて返答してから、ゆっくりと目を閉じた。


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