別の場所 夕刻、天狗は庵の床に横たわり、傍らに置いた小さな箱を指先で突いていた。 中に入ったものをどうしようか。そう考えていると、戸の開く音が聞こえた。 「天狗、今帰った」 「ああ。お帰り、泰継」 八葉として一日の務めを終えた泰継が帰宅したのだ。身を起こし、彼の顔を見る。整ったその顔には、微かな 驚きの色が浮かんでいた。 「――それは?」 天狗の傍に来てその場に座ると、泰継は小さな箱を細い指で示した。この中に何があるのか気になっているの だろう。 「これか?若い天狗が作った薬だ。試してみてくれ、と置いて行った。だが、肝心の効果を聞き忘れてしまって な」 箱の蓋を取り、粉状の薬を見せる。今日の昼、この庵を訪ねて来た若い天狗が是非試してみてくれ、と言い置 いて行ったのだ。だが、彼が独自に開発したものであるため、どのようなものなのかは分からない。 「そうか……どのような薬なのだろうな」 泰継もこの薬に興味があるようだ。だが、試すのはもう少し後でも遅くないだろう。 「まあ、毒薬ではないだろうな。ところで泰継、もう夕餉にするか?」 そろそろ食事の時刻だ。空腹感があるのならば、彼と自分のために料理を作ろうと思う。 「いや、少し書を読もうと思う」 「それじゃ、食べたくなったら言ってくれ」 文机に向かい書を読む泰継の後姿を、見つめた。 「――っ」 しばらくすると、小さな声と共に泰継の肩が震えた。 「泰継?」 不思議に思い、声をかける。寒いのだろうか。 「あ……てん、ぐっ……」 泰継は振り返った。何かを押し殺しているような、掠れた声。寒いのではない、身体に何らかの異変が起きて いるのだろう。 「泰継!?具合が悪いのか!?」 病に侵されているのだろうか。それともどこかに怪我をしているのだろうか。だとすれば一刻も早く手当てをしな ければならない。 「違う……と……思う……っ」 「泰継!」 倒れ込む泰継を慌てて支える。 同時に、その身体は衣と共にゆっくりと縮んで行った。 「……天狗?」 褥に寝かせた泰継は、ほどなくして眠りから覚めた。自分を探しているようだ。 「泰継……すまなかった」 小さくなってしまった身体を掌の上に乗せ、持ち上げて顔を見る。泰継は、両の目を大きく開いた。 「……これは」 「――恐らくはあの薬のせいだ。儂が中身を見せたときに吸い込んだのだろう。苦しかったか?」 微量ではあるが薬を摂取したため、身体に変化が現れたのだろう。このような効果があるとは思いもしなかっ た。 「いや……睡魔が襲ってきただけだ。しばらくすれば戻るだろう」 「そうか……泰継、悪かった」 手の上に乗せた泰継と目を合わせ、天狗は言った。 「天狗?」 「儂がきちんと薬の効果を聞いていれば、こんなことにはならなかった」 罪悪感が胸に込み上げる。故意ではなかったが、彼を困らせてしまったことに変わりはない。自身の行動を悔 やまずにはいられなかった。 「天狗、お前のせいではない」 縮んでしまった右手が頬に触れる。小さくなった彼は愛らしい。そして、そう言ってくれることは嬉しい。だが。 「いや……儂の責任だ。すまない」 「天狗……」 「お前を惑わせるつもりではなかったが――」 そこまで言ったとき、泰継の顔がすぐ近くに寄った。 そして。 とても小さく、だが、柔らかい唇が頬に当てられた。 「――天狗」 顔を離した泰継が、自分を見る。 「……泰継」 驚きの余り、名を呼ぶことしか出来なかった。急に、どうしたのだろう。 「……お前は、悪くない。だから、悲しそうな顔をしないで欲しい」 仄かに頬を染めていたが、泰継が目を逸らすことはなかった。 悲しまないで欲しい。そんな気持ちを唇に乗せたのだろう。胸が、温かくなった。 「……ああ、そうだな。ありがとう」 「いや……」 礼の言葉に泰継が俯いたとき、突然身体に風を感じた。 もしかすると、そろそろ薬の効果が切れるのだろうか。褥の上に、泰継を下ろす。 予想した通り、徐々に身体の大きさが戻って行った。 「――泰継」 「ああ……戻ったようだ」 泰継は安堵したように息を吐いた。身体は元の大きさになったのだ。 「そうか。おかしなことになってしまって悪かった」 「いや……構わない」 泰継は目を伏せた。先ほど唇を頬に当てたことを思い出しているのだろうか。 だが彼が元の大きさに戻った今、頬ではなく別の場所でその唇を感じたい。 「――泰継、先ほどはありがとう。今度は儂から贈ろう」 両肩の上に手を置き、唇を重ねた。 |
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