引き寄せと期待

「泰明」
 庵の扉が閉まったとき、天狗は彼の名を呼びながら、その身体を後ろからそっと抱きしめた。
「――どうした、急に」
 少し肩を震わせてから、泰明は言った。
「いや、久しぶりにこの庵でお前に触れたくなってな」
 腕の力を緩めて、彼の問いに答える。
 今日は晴明に誘われたので、この邸に泊まるることになっている。そこで、北山へ迎えに来てくれた泰明とふ
たりで邸まで来たのだ。夕餉は晴明が作ってくれるそうなので、それまでは彼とこの庵で過ごそうと思ってい
る。
「そうか……」
 小さく頷いて、泰明はこちらを向く。そのとき、以前から思っていたことを告げてみた。
「――お前は、あまり儂に触れて来ないな」
 天狗からその温もりを求めることはあるが、彼に触れて貰えることはあまりない。無論、こちらの気持ちには
応えてくれるのだが、もう少し積極的になって貰いたいとも感じる。
 泰明は目を見開く。そして短い沈黙の後、唇を動かした。
「……私は、お前とは違う」
 小さく息を吐きながら答える彼。その瞳を覗き込み、口を開いた。
「せめて抱きしめられたとき、掌を背に回すくらいはしたらどうだ?」
「……うるさい」
 泰明は俯く。だが、その頬は薄い紅色に染まっていた。
 触れ合うことに慣れておらず、抵抗があることは知っている。だが、もし彼に温もりを貰うことが出来たら、と
ても幸せだと思うのだ。
 もう少し慣れたら、泰明は自ら手を伸ばしてくれるのだろうか。
 そんなことが頭に浮かび、天狗は言った。
「分かった。では練習をしよう」
「何を……」
 訝しげな瞳が向けられた刹那、今度は彼を正面から抱きしめた。
 腕の中にある身体が強張る。だが、まだ解放はしない。
「――ほら、泰明。触れろ」
 片方の手を彼の頭に置き、告げる。
 回数を重ねれば、泰明のほうから自分を求めてくれるかもしれない。だから、安直かもしれないがこちらから
何度も触れることにしたのだ。
 彼の手は、まだ背中に伸びては来ない。腕は自由に動くよう、腰に手を回しているのだが。
 一瞬、泰明の腕が動いた。天狗は背に神経を集める。だが、その腕はすぐに下ろされた。
 急すぎたのかもしれない。
 そう、思ったとき。
「…………今は、これで我慢しろ」
 小さな声が、聞こえた。
 そして、その直後。胸に、額が強く当たるのを感じた。
 自分が強く引き寄せたのだろうか、と思い、泰明の頭から手をどける。だが、それでも額から伝わる温もりは
消えなかった。
 まだ、背に触れることも出来ない彼。だが、自分を求めてくれている。
 たまらなく、愛しいと想った。
「――仕方ない。可愛いから許してやろう」
 期待とは違う結果になったが、充分に満足だ。腰に回した腕の力を弱め、もう一方の手を泰明の頬に当てる。
「てん……」
 彼はこちらを見上げる。唇を重ねようと、思ったとき。
「ふたりとも、夕餉の支度が出来たぞ」
 突然庵の戸が開き、親友が入って来た。
「――はい、分かりました」
 泰明は天狗に向かって腕を伸ばし、一歩後ろに下がりながら答える。
「……おや、ふたりで話でもしていたのか?邪魔をして悪かったな」
 晴明は穏やかに笑いながら、小さく頭を下げた。
「――いや、気にするな」
 小さく息を吐き、天狗は言った。隠すことでもないのだろうが、友の態度からすると今はまだ告げなくても良
いのだろう。
「まあ、その先は夕餉が済んでからゆっくりすると良い」
 先ほどまでと変わらない笑顔で、晴明は唇を動かす。
 天狗は小さく返答してから、泰明とふたりで彼の後ろを歩いた。


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