不安と共鳴

 泰明は、小さくため息を吐いた。両手に提げた紙袋の重みが腕にのしかかる。
(全く、何故こんなに……)
 先程よりも大きなため息を吐き、泰明は俯いた。

 安倍泰明は、遙か学園高等部の三年生だ。本日は二月十四日。本来ならば三年生は受験勉強に勤しんでいる時
期だが、遙か学園は中高大一貫校であるため、その必要はなかった。既に進級試験は済んでおり、泰明も大学部
への進学が決まっている。
 現在三年生は自由登校となっているが、以前に図書館で借りた本の返却日が今日だったため、泰明は登校した。
 だが、それが間違いだった。
 提げた紙袋の中はチョコレートなどのプレゼントで溢れ返っている。この学園に入学してからというもの、毎
年この日は大量に何かを贈られるのだ。何故女子が自分のような者に固執するのか、泰明には分からなかった。
 もう一度大きくため息を吐いてから、泰明は家へと歩を進めた。

 帰宅した泰明は、リビングへと向かった。
 小さく息を漏らし、部屋の中心にある大きな白いテーブルの上に紙袋と鞄を置く。その後僅かに間を空けて、
学校指定の黒いコートを椅子の背もたれにかけた。
「ふう……」
 嘆息し、制服姿のまま椅子に座り込んだ。自室に行って着替える気力さえもない。詰襟のホックを外し、きっ
ちりしまった上衣のファスナーを少しだけ下げると、泰明は椅子の背もたれに身体を預けた。
 今日は、気の休まる暇がなかった。学校にいる間、ずっと女子からプレゼントを渡され続けていたからだ。そ
れが現在泰明の表情を曇らせている原因のひとつだった。
 だが、最大の原因は別のものだった。
 ちら、と壁の時計に目をやると、正午を回ったところだった。
(まだこんな時間か……)
 泰明は瞼を閉じた。ほぼ無意識に、呟く。
「お師匠……」
 この場にいない最愛の人を、小さく呼んだ。
 泰明の師匠で保護者でもある、安倍晴明。表向きは神主となっているが、実は強大な力を持った陰陽師なのだ。
二年前に泰明と泰継が造られたのも、霊との戦いで陰の気が溜まり、正常に年を取ることが出来なくなってしま
ったからだった。晴明が陰陽師であるということは一部の者にしか知られていないが、その力を見込まれて除霊
を頼まれることが多々ある。
 晴明は、昨日夕刻から除霊の為に出かけているのだ。強大な力を持つ怨霊らしく、除霊には時間がかかると思
われる。

 泰明は昨日晴明に、自分も仕事を手伝う、と申し出た。泰明は晴明の能力を全て受け継いでいる。力になる自
信はあった。しかし晴明は、危険だから、と聞き入れてはくれなかった。それならばせめて、と、晴明が留守の
間神社を管理する、とも言ったのだが、参拝客が戸惑う、式神を置いていく、と、それすらも断られてしまった。

(……)
 胸が痛んだ。晴明が自分の身を案じてくれているということは分かる。だが。
(お師匠……私は、そんなに頼りないのですか?)
 泰明もまた、晴明の身を案じているのだ。少しでも力になりたいし、もっと頼ってほしい。
 何故、晴明は自分を頼りにしてくれないのだろう。まだ子供だからだろうか。それとも、力が足りないと思っ
ているからだろうか。
 考えても、答えは出なかった。ただ、晴明の役に立てない自分が悔しかった。
(私には、机上で知識を増やすことくらいしか出来ないのでしょうか?)
 ふと、脳裏に今日返却した本が浮かぶ。
 返却したのは、陰陽師について記された本だった。泰明は以前より、術の研究に事欠かなかった。神社の倉に
あった書物は全て読破した。研究書のチェックも欠かさない。全て、少しでも早く晴明の力になりたいからだ。
(……貴方のお力になることも出来ない……貴方に、感謝の念を伝えることすら出来ない……)
 泰明は目を開け、台所の冷蔵庫へ視線を移した。
 卵、生クリーム、無塩バター、チョコレート。冷蔵庫の中には、昨日購入したそんなものが入っている。また
それとは別に、台所の戸棚には、薄力粉やココアパウダー、グラニュー糖や粉砂糖が収納してある。

 日本ではバレンタインデーは女性が男性にプレゼントをする日とされているが、海外では性別に関係なく、大
切な人に想いを伝える日だと聞く。
 泰明は、晴明に何かを贈りたかったのだ。バレンタインデーに日頃の想いを晴明に伝えたい、と思った。
 プレゼントは、初めは手作りのチョコレートを考えていた。しかし、それは女性のようで気恥ずかしい。市販
の物を買って贈ろうか、とも思ったが、それは少し味気ないと感じた。
 悩んだ末、泰明はガトーショコラを作ることに決めた。晴明は甘い物が好きだ。ケーキならば、夕食後にデザ
ートとしてさり気なく渡すことが出来る。
 そう考え、昨日材料を購入したのだが、晴明は、帰らない。
「お師匠……」
 届かないと知りながら、そう呟いた。

 ガチャリ。
 瞬間、玄関から鍵を開ける音が響いた。突然の音に少々驚きながら、泰明は立ち上がった。
(こんな時間に……誰だ?泰継か?)
 そう考えながら廊下を渡る。泰明が戸口の前まで来ると、同時にドアが開いた。
 泰明は、息を呑んだ。
「お……」
「――ただいま、泰明」
 中に入ってきた人物は、優しい微笑みを浮かべそう言った。
「お師匠……何故……」
 そう、そこに居たのは晴明だったのだ。逢いたいと、強く願っていた人。
「……早くお前に逢いたくてな。仕事はさっさと片付けてしまった」
 目を見開いて尋ねた泰明に、晴明は微笑みを湛えたまま答えた。
「……」
 泰明は、晴明の顔を見つめた。一見、その顔はいつも通り穏やかに見える。
 だが、僅かに疲労の色が浮かんでいることを泰明は見逃さなかった。
 依頼を受けて晴明が出掛けてから、まだ一日も経っていない。ということは、依頼主のもとへ到着してすぐに
怨霊と対峙し、調伏したのだろう。そして恐らく、あまり睡眠もとっていない。急いで自分のもとへ帰ってきて
くれたのだろう。身につけている簡素な衣服も、微かに乱れている。
「……お師匠……」
 小さな声でそう呼び、そっと晴明を抱き寄せた。段差があるので普段と違い、泰明が晴明を抱きしめるような
形になる。
「やすあ――」
「お師匠……無理を、なさらないで下さい」
 震える声で、泰明は続けた。
「――私の身を案じて下さるのは分かります……私に逢いたいと思って下さることは、嬉しく、思います。けれ
ど、お師匠。もっと、私を頼って下さい。私は、少しでも貴方の力になりたいのです――どうか、一人で無理を
なさらないで下さい」
 両手に力を入れる。その指先も、震えていた。
「泰明……ああ」
 晴明は、そう答えた。彼は、こんなにも自分を想ってくれていたのか。彼を気遣うつもりが、逆に悲しませて
しまったようだ。
「すまなかった……ありがとう、泰明」
「あ……」
 少し顔を上げて泰明の瞳を見つめると、泰明は顔を赤くして手を離した。
「すみませんでした……いきなり」
「いや、構わない……私は、嬉しかった」
「お師匠……」
 赤い顔を伏せる。晴明は微笑し、靴を脱いで家の中へ入った。

「泰明、昼食は摂ったか?」
「いえ、まだ摂っておりません」
 晴明の灰色のコートを掛けたハンガーを洋服ラックに吊るしながら、泰明は答えた。
「そうか、では私が昼食を作ろう」
 晴明は言う。しかし、泰明はそれを制止した。
「お師匠、ゆっくりお休みになって下さい。昼食ならば私が……」
「いや、私に作らせてくれ」
 晴明は譲らず、台所へと向かった。泰明も後に続く。
「お師匠、昼食は――」
 泰明は譲らない。晴明は、観念したように振り返った。
「……泰明、お前に、渡したい物があるのだ」
 そう言うと、冷蔵庫のドアを開け、呪文を唱えた。その声に呼応するように、冷蔵庫の中から今まで存在して
いなかった物が次々と現れる。卵、生クリーム、無塩バター、チョコレート。
「お師匠……」
「実はな、二日前から術で材料を隠していたのだ……バレンタインデーは、大切な人に想いを伝え、プレゼント
を贈る日だ。昼食後にガトーショコラを――ん?」
 晴明が声を上げる。当然だ。冷蔵庫の中に材料が二つずつあることに気付いたのだから。
「何故、二つ……」
「――お師匠」
 眉を寄せる晴明に、泰明が声をかけた。
「……私も、同じことを考えていたのです。貴方に、ケーキを贈りたいと――」
 俯いた顔は桜色に染まっている。晴明は、ふっ、と、笑みを浮かべた。
「……そうか」
 冷蔵庫の扉を閉めると、近付いて、泰明を抱きしめる。
「お……」
 突然の出来事に、泰明は身を震わせた。鼓動は、速い。
「偶然だな。しかし、二人とも同じことを考えていたとは……嬉しいものだな」
「……はい」
 泰明は小さくそう返事をし、そっと晴明の背中に両手を回した。
「――二人で、作るか。昼食も、ケーキも」
「……はい」
 この後作るデザートよりも甘いであろう時間が、流れた。






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