触れた心

  翼を広げ、天狗は晴明の邸へ向かっていた。
(晴明に逢いたい――逢って、話をしたい)
 身体に感じる風を、今の天狗は心地良く思えない。
 昨日、晴明は北山を訪れた。いつものように微笑みながら天狗と話をしていたのだが、会話の途中にふと苦し
げな色を浮かべたのだ。
 しかし、その胸中を天狗に明かすことはなかった。
(儂は……お前の心を知りたい)
 昨日見せたあの表情が、頭から離れない。
 彼の柔らかな笑みの下に一体何が潜んでいるのか。それは今も分からない。
 だが、秘められた本当の心に触れたいのだ。苦しみも悲しみも、全て自分に教えて欲しい。傍にいて、晴明を
支えたい。
 天狗は、強く羽ばたいた。

 目の前に、見慣れた門がある。邪な者を阻む聖なる場所へと続く門だ。
(逢いに来たぞ……晴明)
 手をかざし、力を送る。何かが割れるような音と共に、結界は解けた。
(晴明……)
 心の中で名を呼びながら、門を開けた。
 
 見知った美しい道を通り、彼の庵に辿り着いた。ひとつ大きく息を吐いてから、一気に戸を開ける。
「……天狗」
 声もかけずに中に入ってしまったが、晴明が驚くことはなかった。御簾の裏から小さな声で天狗を呼ぶ。
「――晴明」
「――良く来てくれたな。こちらに上がってくれ」
 晴明は御簾を上げ、穏やかな口調で天狗を招く。しかし、その双眸が天狗に向けられることはなかった。
「ああ……」
 高下駄を脱ぎ、晴明の傍に足を崩して座った。
(晴明……どうすればお前の心に触れられるのだろう……)
 言葉が出て来なかった。どうすれば良いのか分からない。何も言わずに目を伏せている晴明を、見つめること
しか出来なかった。
「――天狗。昨日は、すまなかったな」
 それでも何か言わなくては、と口を開きかけたとき、晴明が顔を上げた。ようやく見ることが出来た瞳は、美
しい色を失っている。
「晴明……」
「私はいつも……本当のことを言えないままだ」
 晴明は天狗から視線を外し、胸に手を当てた。
 影の落ちたその顔には、見覚えがある。
 妻を亡くしたあのときと、同じ表情だった。天狗の胸をも締めつける、悲しい色。
「――そんな顔をするな、晴明」
 痛々しいまでの横顔に、言葉をかける。
「そうだな……私らしくない」
 晴明は、自嘲するかのように首を横に振った。
「そういう意味ではない」
 胸元の手を正座した膝の上に置いた晴明に、身体ごと近付く。
「天狗?」
 急に距離を詰められたことに驚いたのか、晴明は目を大きく開けて天狗を見た。
 その瞳を、見据える。
「儂には、本当のことを言え。お前の本当の気持ちを――知りたい」
 膝の上にあった手を、しっかりと握った。
「――天狗……」
 掠れた声で呟いた後、晴明は何かを訴えるかのように声を出さず唇を動かした。
「……晴明」
 名を呼び、手を握る力を強くした。教えて欲しい、本当の心を。
 しばしの沈黙の後、晴明の口から言葉が紡がれた。
「――天狗、私はとても臆病なのだ。本当の気持ちを伝えたらお前を失ってしまうかもしれないと、莫迦なこと
を考えてしまう……大切な人が妻のようにいなくなってしまうことが、怖い……」
 握りしめた晴明の手は、震えていた。
 これが、秘められていた晴明の心なのか。柔らかな笑みの下で、彼はずっと恐れを感じていたのか。
 想いが湧き上がって来る。彼を苦しみから解き放ちたい。
 そっと手を離し、目の前の身体を抱きしめた。
「――晴明、儂は絶対にいなくなったりしない。お前が本当の気持ちを言っても、儂は変わらずお前の傍にい
る」
「天狗……」
 腕に力を込めた。この温もりを、感じていたい。
「――お前のことが好きだ、晴明。だから、お前の傍にいたい」
 どんなときも、愛しい者の心に触れていたいのだ。
 鼓動が早鐘を打っていた。この想いは、伝わったのだろうか。
 そう思っていると、晴明の耳が胸に寄せられた。
「天狗……ありがとう」
「――ああ」
 頷くと、晴明の優しい声が響いた。
「……私も、お前のことを愛している」
 晴明の腕が背中に回される。自身を求めるかのような行為が、心に温かく沁みた。
「――ありがとう」
 声になったのはそこまでだった。ただ晴明の体温を感じることしか出来ない。
「――天狗、目を閉じてくれないか?」
 しばらく温度に酔いしれていると、晴明に声をかけられた。真意は分からぬが、言われた通りに瞼を閉じる。
 瞬間、衣の胸元を掴まれ、唇に柔らかいものが重なった。
「――っ!?」
 それが晴明の唇だと気付くまでに、そう時間はかからなかった。
「――想いが通じ合ったのだ。これくらいは良いだろう?」
 思わず身体を離すと、妖艶な笑みを浮かべた晴明がそこにいた。
「晴明……いや、それでこそお前、か」
 あまりにも唐突な口付けには少し驚いたが、晴明への想いは変わらない。
「愛している……お前を、失いたくない」
 晴明は、再び天狗の背中に腕を回した。
「ああ……」
 晴明の身体を包みこんだ。どんなときも、彼の心に触れることが出来れば良い。
 そう思ったとき。
『夫を、よろしくお願いします』
 どこからか、柔らかな声が聞こえた。あのときの苦しそうな声とは違う、優しい声。
「――天狗?どうかしたか?」
「いや……お前の妻の声が、聞こえた」
 怪訝そうにこちらを見る晴明に、答えた。あの声は、まぎれもなく晴明の妻のものだ。
「――そうか……どんな声色だった?」
「――優しい声だった、とても……」
 晴明は、良かった、と呟いた。その声音もまた、彼女と同じように優しい。
 何があっても、傍にいて晴明の心に触れていたい。
 そんな想いを込めて、彼の耳元に好きだ、と囁いた。


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