今は尚更

 自宅の居間に入った天狗は、椅子の背にコートをかけ、そのまま腰を下ろした。
「天狗、酔いは醒めたか?」
 傍らに立った泰継が、顔を覗き込んでいる。天狗は、軽く身体を伸ばしながらその問いに答えた。
「ああ、外気に当たったからな。もう平気だ」
 聖夜である今日、晴明と泰明の家で宴が開かれた。天狗は泰継と共に参加したのだが、少々気分が高揚したた
め、つい酒を飲みすぎてしまったのだ。
 多少酔うであろうことを予想し、徒歩で赴いたことは正解だった。大いに盛り上がった宴の後は自分の足で帰
ったため、冬の空気が頭を冷やしてくれたのだ。
「そうか……」
 泰継は表情を和らげて呟いた。恐らく、自分のことを心配してくれていたのだろう。天狗の唇が、自然と綻んで行
く。
「――泰継、楽しかったな」
 その口元を崩さず、天狗は言った。
 今日の宴は本当に楽しめるものだったと思っている。美味しい料理も尽きることのなかった話も、心の中を満た
してくれた。泰継も、同じであってくれたら嬉しい。
「……ああ」
 泰継は、微笑みながら頷いた。どうやら、彼の心も満たされているようだ。
 だが、可能ならば泰継をもっと喜ばせたい。今日は、聖夜なのだから。
 天狗は彼と目を合わせ、口を開いた。
「――そうだ。お前に、渡したいものがある。儂の部屋に来てくれないか?」
「――ああ、分かった」
 一瞬考えたようだったが、泰継は了承してくれた。天狗は素早く立ち上がる。
 そして、彼の手を引いた。

「これだ」
 自室に入り、天狗はすぐにクローゼットを開けた。そこに置いていた小さめの箱を、泰継に差し出す。
「……私が、貰って良いのか?」
 彼は顔に驚きの色を浮かべながら、箱を見つめている。
「ああ。お前へのプレゼントだ」
「――ありがとう、天狗」
 泰継は少し照れたように笑い、下を向いてそれに両手を伸ばした。
「……ああ。良かったら、中を確かめてくれ」
 受け取ってくれたことには安堵したものの、中のものを彼が気に入ってくれるとは限らない。微かな不安を抱き
ながら、天狗は泰継の反応を待つ。
 彼は返事をしてから、丁寧に包みを解き始めた。
「――これは?」
 箱から出て来たものを目にして、泰継は小さく声を上げた。
 丈夫な輪の内部に糸が蜘蛛の巣状に張り巡らされた、装飾品のようなもの。下部には羽根が付いている。初見
では、何に使うものなのか分からないだろう。
「少し珍しいだろう。ドリームキャッチャーというお守りの一種だ。悪夢を遠ざけてくれるらしい」
 僅かに首を傾けている泰継に、説明する。
 ドリームキャッチャーとは海外の伝統的なお守りだ。寝るときに吊るしておくと、悪い夢から守ってくれると言われ
ている。
「悪夢を……」
「――お前の夢は、いつも安らかであって欲しい」
 泰継には、いつも幸せであって欲しいのだ。たとえ、それが自分の力が及ばない夢の中でも。そんな想いを、こ
の贈りものに込めた。
「――ありがとう」
 ドリームキャッチャーをそっと持ち上げ、泰継は天狗に頭を下げた。その声は、とても柔らかだ。
「……ああ」
 どうやら、喜んでくれたようだ。天狗は目を細め、小さく息を吐いた。
「――お前が、作ったのか?」
 ドリームキャッチャーを見ながら、泰継は言った。
「ああ。やはり、既製品のほうが良かったか?」
 無論販売されているものもあるが、今日彼に渡したものは天狗の手作りだ。針金で輪を作り、切れ難い糸を蜘
蛛の巣状に張り巡らせ、糸の間はビーズで装飾した。下部の羽根は自分のものだ。
 なるべく丁寧に作ったつもりだ。手先もそれなりに器用なはずである。しかし、やはり既製品と比べたら粗はある
だろう。泰継にはもっと綺麗なものを贈ったほうが良かったのかもしれない。
「――いや。とても嬉しい」
 だが、泰継の言葉は天狗の考えとは全く違っていた。整った顔に浮かんだ笑みは、消えていない。
「――ならば、良かった」
 天狗は胸をなで下ろした。幸せそうな彼の表情は、心に熱をもたらす。
「……天狗、少しここを出る。すぐに戻るから、待っていて欲しい」
 しかし、ほどなくして泰継は部屋を出ることを告げた。ドリームキャッチャーを箱に入れ、傍にあった机に置く。
「ああ、分かった」
 もっと話していたい。だが、泰継は嘘など吐かないだろう。天狗は彼を信じ、首を縦に振った。

「……私も、お前にこれを贈ろうと思っていたのだ」
 言葉通り、彼は驚くほど早く帰って来た。その手には、小さな包みがある。
「――ありがとう。開けても良いか?」
 天狗の胸に、驚きと嬉しさが広がって行く。泰継が移動したのは、これを持って来るためだったのだろう。包み
を手に取りながら、天狗は尋ねた。
「……ああ」
 許可を得て、天狗はゆっくりと包みを開いていった。
 中から、愛らしい形をした小さな枕のようなものが現れる。
「アイピローだな」
 就寝する際に瞼の上に載せると、気持ちを落ち着けてくれるというものだ。彼も、自分の眠りのことを思ってくれ
たのだろうか。
「……ああ。受け取ってくれるか?」
「――当然だ。ありがとう」
 不安げな泰継に、天狗は答えた。彼が選んでくれたものを、歓迎しないはずがないだろう。
「……良かった」
「載せてみても良いか?」
 泰継に訊く。彼の贈りものだ。今すぐにでも使ってみたい。
「――ああ」
 泰継は小さく返事をした。一度その頭をなでてから、瞼の上にアイピローを載せ、近くのベッドに仰臥する。
「――癒されるな……」
 そこまで疲労した覚えはないが、丁度良い重さと芳香が気分を落ち着かせてくれる。流石は、泰継が選んだ一
品だ。
「――そうか……」
 上から声が聞こえる。泰継が自分のことを見ているようだ。
 視覚で捉えられなくとも、彼のことならば分かる。そっと腕を伸ばし、天狗は泰継の手を掴んだ。
「――こうすれば、もっとだ」
 自分よりも低い体温が伝わって来る。指をやや強く曲げ、彼の手を温める。
 こうしていると、どこからか幸福感が押し寄せてくるのだ。
「……天狗」
「――やめたほうが良いか?」
「――いや、このままで構わない」
 泰継が、手を握り返してくれた。共に過ごす時間を、まだ終わらせなくて良いということだ。
「そうか……」
 彼が隣にいる今が、ずっと続けば良い。天狗は、指先の力を少しだけ強めた。
「――私も、お前の傍にいれば、絶対に悪夢など見ないと思う。お前が贈ってくれたものがある今は、尚更だ」
「――泰継」
 泰継の声が耳に届き、天狗は彼の名を呼んだ。胸の熱が冷めてくれない。
 瞼の上から小さな枕を退かし、泰継の開かれた双眸を見る。
 そのまま彼の手を引き、自分の横に座らせた。


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