却って

 
「泰継ー」
 最後に残った寝酒を一口飲み、天狗は、彼に声をかけた。
「天狗、眠いのか?」
 文机の前に座っていた泰継が、こちらを見る。褥に入る前、良く彼は書に目を通しているのだ。
 泰継の言葉通り、寝酒が効いたのか眠い。夜も更けて来たので、もう、寝ようかと思っている。
「そうだな、良かったらお前も……」
 ゆっくりと、立ち上がる。そして、彼に近付き、読書を切り上げて休まないかと尋ねようとしたのだ
が、それは出来なかった。
「天狗……?」
「――!」
 酒のせいか、途中で足どりが乱れ、倒れてしまったのだ。咄嗟に、天狗は目を閉じる。
「ん……」
 ほどなくして、泰継の少し苦しそうな声が聞こえて来た。どうやら、自分のすぐ下にその身体があるらし
い。
「すまない……」
 痛みはない。閉じていた目を開けたとき、天狗は、息を呑んだ。
 床に倒れ込んだ際、泰継の衣が少し着崩れたようだ。襟の辺りから、肌が見える。
「……!」
 そのことに気付いたのか、彼は目を見開く。薄紅が、頬には浮かんでいた。
「悪い、泰継……」
 天狗は彼を素早く解放するため、床を掌で押す。そして、改めて謝ろうと、口を開いたとき。
「――天狗、大丈夫か!」
 彼は、声を上げた。
「――泰継?」
「怪我はないか?飲み過ぎたか?歩くことは出来るのか?」
 天狗が名を呼ぶと、彼は衣の乱れを素早く直してから、真っ直ぐな目をこちらに向けた。
 突然被さって来た自分を責めることもなく、身を案じてくれる泰継。
 彼の想いに、胸が満たされて行った。
「――大丈夫だ。泰継」
 ぶつからぬように注意しながら、天狗は静かに起き上がる。
「どうした?」
「……ありがとう」
 目を合わせ、礼を述べた。偽りのないその気持ちが、嬉しかったのだ。
 彼は、少しの間目を見開いていたが。
 ほどなくして、唇を綻ばせ、頷いてくれた。


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