翳った空

   任務の帰り、晴明はふと足を止め、ゆっくりと空を仰いだ。
「――お師匠、どうかされましたか?」
 共に任務に就いていた泰明が、振り返り、尋ねる。
「……ああ、何でもない。泰明、今日は付き合せてしまってすまなかったな」
「いえ、それは構わないのですが……お師匠、何か気にかかることでもあるのですか?」
「……」
 昨日、晴明は一人の女性から依頼を受けた。夫を亡くした友人がずっと悲しみに沈んだままでいる。一度だけで
良いから友人を黄泉の夫に会わせて欲しい、と。つい先ほど、任務は滞りなく終了した。黄泉路より呼び出した夫
ともう一度愛を確かめたことにより、女性に笑顔が戻ったのだ。
 そしてこの仕事は、晴明にあることを考えさせた。
「お師匠?」
「いや――天に召された夫のことを今でも想い続けているあの女性を見ていて、思ったのだ。きっと、二人は幸せ
だったのだろうと」
「――お師匠?」
 泰明は、首を傾げて晴明を見た。
「……私の妻は幸せだったのだろうか、と、そう思った」
 晴明は数年前に妻を亡くしている。彼女は陰の気が溜まり年を重ねることが出来なくなった晴明を案じ、自身の亡
骸に晴明の陰の気を封印するように北山の大天狗に言い遺し、息を引き取ったのだ。だが、晴明の陰の気は妻の
身体に収まりきらぬほど強かった。その暴走を止めるために造られた人型が、泰明だ。
 晴明は妻に感謝している。だが同時に、妻の傍にいる者が自分で良かったのだろうか、とも思っていた。
「お師匠……しかし、北の方はお師匠を想って――」
「ああ、分かっている。彼女が死の瞬間まで私の身を案じてくれたということは。だが……それでも考えてしまうのだ。
私のような者と共にいて、本当に幸せだったのだろうか、と」
 何年も老いることのない奇妙な身体。そのような夫と共に在り、心ない言葉を浴びせられることもあっただろう。
「お師匠……」
「無論、今も彼女の優しい気を感じることは出来る。しかし、魑魅魍魎と接してばかりの男などではなく、もっと誠実な
男と温かな家庭を築いた方が良かったのではないかと、今でも思うのだ」
 目を閉じれば、今でも穏やかな笑顔の妻がそこにいる。天から感じる彼女の魂には、いつも優しい気が溢れてい
る。だが、もっと彼女に相応しい男がいたのではないだろうか、と考えてしまうのだ。このような自分は人を愛するべ
きではないのかもしれない、とさえ思う。
「――お師匠。私は北の方のことを何も知りません。けれど……思うのです。お師匠と共に在って、北の方は幸せ
だったのではないだろうかと」
 しばらくは沈黙していた泰明が、口を開いた。
「泰明……そうだろうか?」
「――はい、私はそう思います。命尽きる瞬間まで想い続けられるような人に出逢えた――それはきっと、北の方に
とっての幸せだったのではないでしょうか」
 泰明は戸惑っているような表情を浮かべながらも、晴明の目を真っ直ぐに見つめた。
「泰明……」
 晴明が言うと、泰明は目を伏せた。
「――すみません、憶測でこのようなことを言って……」
「……いや、ありがとう、泰明」
 いつの間に、これほど成長したのだろう。そう思いながら、晴明は泰明の頭をなでた。
「――いえ」
 泰明は小さな声で答える。
(――泰明……お前はそう言ってくれるのか。私は妻を不幸にしたわけではないと)
 晴明は、胸に痛みと温かさを感じた。
(ならば泰明、私はお前を――)
 以前、傷付いた泰明が北山の天狗のもとで過ごしていた折、ひどく心が乱れた。この、想いは。
「泰明……」
 思わず、その名を呼んでいた。
「――はい」
「……いや、すまぬ。何でもない」
 晴明は口を噤んだ。
(――お前を困らせることは……出来ない)
 もう一度空を見る。晴れているのに、何故か悲しく翳っているように思えた。


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