過去の話より 「――泰継。今は、暇か?」 夕餉の片付けも終え、文机の前に座したとき。後ろに寝転んでいた天狗に話しかけられた。 「予定はない」 「では、少し話でもしないか?」 振り返って返答すると、彼の顔に喜びの色が浮かんだ。 その誘いを断る理由など、何もない。 「――分かった」 頷いて、文机に背を向ける。天狗も起き上がり、こちらに少し近付いて座った。 「……何か質問はあるか?何でも話すぞ」 すぐ前にいる彼は、笑みを崩さずに言った。その笑顔に胸が高鳴るのを感じながら、何を訊こうかと思案す る。 しばらくしてあることが頭に浮かび、私は口を開いた。 「――質問、とは言えないかもしれないが、昔の話を聞かせて欲しい」 「昔?」 天狗は不思議そうに言葉を繰り返す。私は詳しいことを伝えるために、もう一度唇を動かした。 「私が生まれるよりも前……天狗の過去を知りたいのだ」 私は、生まれて間もない頃に天狗と出逢った。そのため長い時間を共に過ごしているのだが、昔のことについ て彼にきちんと尋ねたことはない。 私と知り合う前、天狗はどのように暮らしていたのか。教えて欲しいのだ。 「昔のことか……」 彼は小さく唸っている。記憶を探ってくれているらしい。 だが、天狗はすぐにため息を吐いた。 「――どうした?」 「――すまん。何分、儂も無駄に長く生きて来たからな。思い出せん」 困らせてしまったのかもしれない、と思って訊くと、彼は力なく謝罪した。 「そうか、ならば構わない」 だが、気にする必要はない。過去を知りたいという気持ちはあるが、天狗を困らせるつもりはないのだから。 何か別の話題に移ろうか、と思ったとき、彼の手が私の頭に伸びて来た。 「……お前と出逢ってからのことなら、良く覚えているのだがな」 柔らかな声で語りながら、天狗は掌をゆっくり動かした。 「――そうなのか」 「――大切な奴との思い出だからな」 優しい目が、私を映していた。 大切な人の記憶に、私が確かに存在している。 呼吸さえも出来ないほどに、幸せだ、と感じた。 「……そうか」 頬が熱くて、俯く。手を胸に置くと、激しい鼓動が伝わって来た。 「まあ、ともかくすまないな泰継。昔の話を聞かせられなくて」 「――いや、良い」 天狗の言葉に、私は首を横に振った。謝罪など、いらない。 過去の話よりもっと嬉しいことを、彼は聞かせてくれたから。 |
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