活用しないほうが

 椅子に腰かけた泰継は、視線を手元の書から傍の壁にかけた時計へと移した。間もなく、日付は変わる。
 もう眠ったほうが良いだろうか。そう思ったとき、扉の向こうから自分を呼ぶ声がした。
「泰継、入っても良いか?」
 声の主は、天狗だ。泰継は書を閉じて机の上に置き、彼に返事をした。
「構わない」
「悪いな、夜に」
 ほどなくして扉を開け、天狗は少し申し訳なさそうに室内へと入って来た。
「気にする必要はない。だが、どうした?」
 眠っていたわけではないし、彼の訪問を拒むはずがない。だが、何故天狗がこの部屋に来たのか。それは、気
になった。
「……少し待て」
 問いには答えず扉を閉めると、天狗は泰継の隣に来て壁の時計を見上げた。泰継も、彼と同じように時刻を確
認する。今日が終わるまで、あと一分を切った。
 今日――九月八日は、あともう少しで終わる。
「――あ」
 泰継は小さく声を上げる。あることに、気が付いたのだ。
 そして、午前零時になったとき。天狗は、笑顔で言った。
「……泰継、誕生日おめでとう」
 優しく笑い、こちらを見つめる天狗。胸の高鳴りと、嬉しさを感じた。
「……ありがとう、天狗」
 泰継は、頷く。
 今日、九月九日は、泰継がこの世に生を受けた日なのだ。
「これはプレゼントだ。良かったら使ってくれ」
 彼は、服と身体の間から綺麗な紙に包まれた箱を出す。どうやらずっと隠していたようだ。何とも天狗らしい行
いだ、と思いながら、手を伸ばしてそれを受け取る。
「ありがとう。中を見ても良いだろうか」
「もちろんだ」
 許可を得て、泰継は膝の上に箱を乗せた。ゆっくりと紙を解き、蓋を開ける。
 中には、革製のカバーが入っていた。
「――これは」
「ブックカバーだ。お前は良く本を読むだろう」
 呟いた泰継に彼は言った。確かに書から知識を得ることは良くある。そのことを、天狗は覚えてくれていたよ
うだ。
「……ありがとう。天狗が作ったのか?」
 カバーを手に取り、彼に訊く。このカバー、非常に美しいのだが既製品ではないような気がするのだ。
「良く分かったな。作り、粗いか?」
 天狗は少し不安げだ。泰継は首を横に振り、彼に言った。
「――温もりを感じたのだ」
 この贈りものはとても綺麗に作られている。もちろん既製品に劣ることもない。彼の手製なのだろうか、と思っ
たのは、これを持ったときに天狗の温もりが伝わって来たからだ。
「……そうか」
 天狗は唇を綻ばせた。その声音も、柔らかい。
 だが泰継はカバーを胸に抱き、あることに悩んでいた。
「――天狗。これは、使えない」
「――悪い、気に入らなかったのか?」
 彼は焦ったようにカバーへと手を伸ばすが、違う。天狗が自分にくれたものを嫌だと思うはずがない。
 だが。
「そうではない。このカバーを、汚したくないのだ。お前がくれたものだから……」
 言うまでもなく、ブックカバーは書籍を保護するものだ。外部の汚れを受けることもあるだろう。
 だが、天狗がくれた綺麗なカバーに傷や汚れが付くのは嫌なのだ。これはずっと使わずに、大切にしたいとさ
え思う。
 彼は一瞬目を見開くと、泰継と目を合わせ、唇を動かした。
「――泰継。そこまで大切に思ってくれるのは嬉しいがな。本を守らなければ意味がないだろう」
 天狗は、少し困ったように笑っている。
 確かにその通りだ。本にかけて使わなければ、ブックカバーの意味がない。それに、天狗が自分のために作っ
てくれたものを、活用しないほうが失礼なのではないだろうか。
 黙想した後、彼に結論を告げた。
「……では、汚さないように使おうと思う」
 カバーを大切に使う。それが一番だと、答えが出た。
「そうしろ」
 天狗は微笑する。この結論は、間違いではないのだろう。
「……天狗、ありがとう」
 胸にカバーを抱き、泰継は頭を下げる。自分の生まれた日を、大切な人に祝ってもらえた。とても、嬉しいこと
だ。
「……ああ。泰継、お休み。早く休め」
 彼の手が、頭に乗せられる。
 視線を天狗へと向けたとき、近付いて来た彼の唇が自分と重なった。


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