路の上で

「泰明」
 夕陽に染まる路の上。目的の人物を見付けた天狗は、彼に声をかけた。
「――天狗。どうした?」
 足を止め、泰明は目を見開く。天狗はゆっくりと傍に行き、理由を告げた。
「邸まで送ってやろうと思ってな」
 予定のない日、彼はいつも邸へ帰る前に北山へ寄ってくれる。その礼をするために、今日は彼を迎えに来たの
だ。
 人が通る路を行くよりは空を飛んだほうが早い。泰明の身体を、そっと抱き上げた。
「てん――」
「落ちるなよ」
 彼の言葉が終わらぬ内に、地面を蹴り空へ飛び上がる。
 泰明は少しの間眉を寄せていたが、ほどなくして素直に頷き、強い力で自分に掴まってくれた。

 それから。しばらく飛んだ後、ふたりで地面へと降りた。
「――邸まではまだある」
「たまには歩いて帰るのも良いだろう」
 不思議そうに口を開いた彼に、答える。彼の住む邸に着くまでの間、ふたりで路を歩きたい。北山以外の場所
を散歩することなど滅多にないからだ。それに、この辺りは人も少ない。誰にも邪魔されることのない時間を過
ごせるはずだ。
 そっと、泰明に手を差し伸べる。
「――何だ?」
 彼は訝しげに視線を向ける。手を動かしながら、意図を説明した。
「手。繋ぐぞ」
 せっかく人の来ない路を行くのだ。掌で彼を感じたい。
 泰明は目を見開いた。無理もない。北山にいるときでさえ、手を繋ぐことは稀だ。突然の提案に驚いたのだろ
う。
 拒まれるだろうか。そう、思った直後。
「……分かった」
 彼は自分の横に立ち、俯きながらも手を握り返してくれた。
 だが、まだ歩き出すことは出来ない。泰明の頬が、薄い紅色に染まっているのだ。
「――緊張、してるのか?」
「……ああ」
 尋ねると、彼は小さな声で返答した。
「どうしてだ?」
 その手を強く握りながら、問いかける。確かにこうして手を繋ぐことはあまりないから、緊張するというのは理解
出来る。だが、自分たちはもっと深く触れ合うこともある。そこまで身構える必要はないと思うのだが。
 泰明はしばらく沈黙した後、ゆっくりと口を開いた。
「――手を繋ぐと、お前に伝わってしまう。私の、拍動が」
 予想していなかった言葉。すぐには、返事が出来なかった。
 彼の言うことは良く分かる。現に今、泰明の鼓動がいつもより速いということは、掌で感じることが出来る。
 だが。
「――なるほど。だが手を繋げば、儂の拍動もお前に伝わる。おあいこ、だろう?」
 今は感じる余裕がないのかもしれないが、自分の鼓動が速いことも彼に伝わっているはずだ。自分だけが泰明
の拍動を知っているわけではない。
「……私といると、お前の鼓動も速くなるのか?」
 彼は驚いたようにこちらを見る。目を合わせ、返答した。
「当たり前だ」
 愛しい者と並んでいるのだ。胸は満たされ、気分も高まる。
「――そうか」
 納得したのか、泰明は頷く。
 天狗は、綺麗な手を一層強く握った。
「……行くぞ」
 泰明はああ、と返答した。その声が普段よりも柔らかいように感じたのは、気のせいではないだろう。
 一度深く呼吸をしてから、ゆっくりと足を踏み出した。


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