もう一口

 夜が更けた。時計の針もあともう少しすれば真上で重なる。
 天狗は慎重に箱を携えながら、ある部屋に行くため廊下を歩いていた。
「泰継、入って良いか?」
 目的地に着いた天狗は、中にいる彼――泰継の名を呼び、尋ねた。
「ああ。どうした?」
 入室を許可する声が聞こえる。安堵しながら静かに扉を開け、中に足を踏み入れた。
 椅子に腰かけ読書をしている彼のもとにゆっくりと近付く。
 壁にかけられた時計が零時を告げていることを確認してから、手に持っている箱の蓋に手をかけ、中を見せ
た。
「突然、すまない。これを渡そうと思ってな」
「ケーキ、か?」
 箱の中にあるものを見た泰継は、訝しげに呟く。
 その言葉に頷いてから、返答した。
「今日は、お前の生まれた日だろう」
 九月九日。今日は、彼の誕生日なのだ。
 泰継は、目を見開く。だが、ほどなくしてその手を箱へと伸ばしてくれた。
「――そうか、ありがとう。お前が作ったのか?」
 箱を机に置いてから、柔らかな声で彼は言った。
 安堵の息を吐き、天狗は答える。
「そうだ。お前に気付かれないよう、この日まで隠していた」
 当日までは内密にしておこうと思い、泰継が家を空けている間にこのケーキを作ったのだ。手早く仕上げるた
め苺を乗せた定番のショートケーキにしたが、味は良いと思う。完成した後も、見付かり難い場所に保存してお
いた。
「――そうか」
 泰継は少し驚いたようだったが、すぐに穏やかな笑顔で頷いた。
 唇を綻ばせ、ケーキに視線を向ける彼。その光景に胸は満たされたが、まだ、やらなければならぬことがあ
る。
 天狗は、ゆっくりと箱の中へ手を伸ばした。
「それから、忘れない内に。これも渡しておこう」
 ケーキの後ろに隠れていた小さなものを手に取り、泰継に示す。
「……これは?」
 彼はこちらを見上げて尋ねる。質問に答えるため、唇を動かした。
「布で作ったケーキだ。それと同じ形にしてある。良かったら、飾ってくれ」
 今、彼に見せたのは、布で作ったケーキの小物だ。机の隅などにも飾れるように大分小さく作ったが、外貌は
先ほど贈ったケーキにかなり近付けてある。
 自分の贈ったものを、泰継がずっと傍に置いてくれたら良い。
 呆れるほど幼い願いを込めて、作ったのだ。
 掌に載せた布製のケーキ。彼はしばらく黙って視線を向けていたが、やがてそれを受け取ってくれた。
「――ありがとう。これなら、ずっと残しておけるな。大切にする」
 真っ直ぐな視線をこちらに向け、笑う泰継。
 自分の幼い願いまで受け止めてくれたようだ。胸に、光を感じる。
「良かった。ところで、泰継。ケーキを食べるのは後でも良いぞ」
 目を合わせて、告げた。日付が変わったらすぐに見て欲しいと思い彼のところに来たが、今は夜だ。ケーキは
保存しておいて後で食べても構わない。
「……天狗」
「何だ?」
 小さな声で、泰継が自分を呼ぶ。
 何か用があるのだろうか、と思い尋ねると、泰継はケーキの横にあった小さなフォークを手に取った。
 ショートケーキの端を少しだけ崩し、それを口に運ぶ。
 天狗は、目を見開いた。
「――美味しい」
 彼は、嬉しそうに呟く。
 愛しい者が、喜んでくれた。自分のほうが贈りものを貰ったような気分だ。
「……そうか。泰継、もう一口どうだ?」
「分かった」
 自分の言葉に従い、もう一度ケーキを食べようとする彼。だが天狗はそれを止め、泰継の持つフォークをそっ
と手にした。
 彼は、驚いたようにこちらを見ている。
 フォークで少し切ったケーキを先に突き刺し、泰継の口元へと手を伸ばした。
「ほら。口、開けろ」
 先ほど、ケーキを口にした彼はとても愛らしかった。欲張りだとは思うが、今度は、自分の手から食べて欲し
いのだ。
 泰継の頬が、薄く染まる。困らせてしまったのかもしれない。
 だが。
 ほどなくして彼は、ケーキを食べてくれた。
 後で、味についての感想を訊こう。
 そう思いながら、天狗はそっと泰継の頭をなでた。


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