想いは

  晴明は、傍らで眠っている泰明の顔を優しく見つめた。
「泰明……」
 安らかな眠りを妨げぬよう、ごく小さな声でその名を呼ぶ。
(お前との距離がこのように近くなることなど、以前は考えられなかった……)
 先程までの情事で少し乱れた泰明の前髪を整えながら、晴明はかつての出来事を思い出す。

 泰明が生まれてからひと月程経った、青空の広がるある日。とある貴族から頼まれた任務を無事に遂行し、晴
明と泰明は帰路についていた。
「最近は怨霊が多いな。あまり強力なものではないことが唯一の救いだが」
 先程封印した怨霊を思いながら、晴明はため息をついた。全く鬼も酷なことをするものだ。京全体に怨霊を放
つなど。日頃魑魅魍魎と接する機会が多い晴明も、立て続けに任務が入ると気が滅入ってしまう。
「鬼の活動が活発になってきたのでしょう。気を引きしめなくてはなりません」
 隣にいた愛弟子は、冷静にそう述べる。
「お前は問題ないか、泰明。身体に異常はないか?」
「問題ありません」
 淡々と言葉を返す泰明に、晴明は目を伏せた。
 泰明は自己を顧みない。自分の辛苦を誰かに訴えようとはしないのだ。疲労していることは間違いない。微力
な怨霊でも、多少の力は持っている。晴明ですら、僅かではあるが瘴気を浴びたのだから。
「問題ない、か。だが、気の補充をしておくのも良いだろう。泰明、火之御子社に寄っていかないか?」
「――構いません」
 泰明の返事を聞き、晴明は火之御子社へと歩を進めた。

「……相変わらず、ここは清らかな気が満ちていますね」
 火之御子社に着くと、泰明は少しだけ安堵したように呟き、目を閉じた。身体の力を抜き、深呼吸をする。そ
の様子を、晴明は少し離れた場所で見つめていた。
(少しは、私に甘えて欲しいものだがな……)
 晴明は思う。もっと、自分を頼って欲しいと。疲れたのならば疲れたと言って欲しいし、気が低下しているの
ならばそう言って欲しい。問題ありません、と言われても、思わず「本当か?」と聞き返したくなってしまう。
「お師匠」
 しばらく思考に耽っていると、気の補充を終えた泰明に声をかけられた。
「気の補充を終えました。お師匠は、気の補充をしなくて良いのですか?」
「私には必要ない。ここは私の五行属性には適していないからな」
「……ならば何故ここに来たのですか?」
 怪訝そうな顔で尋ねる泰明に、晴明は答える。
「お前の五行属性に最も適しているのがこの土地だからだ。充分に補充出来たか?」
 晴明が言い終えた刹那、泰明は瞳を見開き、しばしの沈黙の後に晴明の狩衣の袖を掴んだ。驚いたような顔を
する晴明の瞳を、泰明は真っ直ぐに見る。
「……どうしてですか?お師匠にとってこの土地に来ることに何の意味もないのに、何故ここに来たのです
か?」
 必死に答えを請う愛弟子を見て、晴明は胸の痛みを感じた。
(まだ、分からないのだな……)
『お前が愛しいからだ。私は自分がどうなっても、お前には明らかであって欲しいのだ』
 そんな思いを胸にしまい、晴明は泰明の頭に手を置き、言った。
「――お前が大切だからだ」
 その顔には穏やかだが悲しげな微笑みが浮かぶ。
「……大切?」
 まだ怪訝そうな表情をする泰明に、晴明はその内分かる、と付け足した。
「……さて、そろそろ帰るか、泰明」
「――はい」
 泰明は素直に頷き、晴明の後ろに続いた。

(あのときは、こんな日が来るとは思ってもいなかったのだがな)
 寝息を立てる泰明を、慈しむような眼差しで見つめる。
(泰明、今のお前は分かってくれるだろうか――私が、どれ程お前を想っているか)
 起こしてしまわないように、軽く瞼に口付ける。瞬間、泰明が微かに笑ったような気がした。


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