おさおさ


 二月十四日。扉の傍で、フロストバッグを提げた泰明が止まった。晴明が、部屋にいると思う。
 ゆっくりと、呼吸する。
「……お師匠」
 そして、静かに呼んだ。
「泰明。おいで」
 師は、優しく返答してくれた。
「――はい」
 頷いて、扉に手を伸ばす。俯きながら、踏み込んだ。
 ゆっくりと、扉を戻す。だが、言葉は浮かばない。
 胸が壊れそうだ、と思ったとき。
「……用が、あるのだな」
 椅子に腰かけていた晴明の言葉が、聞こえた。思わず、師の目を見つめる。
 曇りのない、優しい瞳。安堵を、くれた。
 ゆっくりと、持っていたバッグを晴明に見せる。
「――バレンタインデーに、コールドチョコレートを作りました」
 礼と、想いを届けられる日。晴明が帰宅していないときに、凍らせるチョコレートを作ってみた。コーヒーな
どがある際に手を伸ばせば、更に安らぎを得られるらしい。
「――ありがとう」
 師が、笑ってバッグを持つ。そして、椅子を使うことをやめた。
 泰明が、不思議に思ったとき。
 額に、晴明の唇が寄せられた。
「――お師匠」
「……愛らしい顔。寄りたく、なった」
 驚いて呟く泰明。晴明は、笑った。
 言葉ではない礼を、くれたのか。部屋を訪れたときより、胸が壊れそうだと思う。
 だが。
「――幸せ、です」
 驚いた。そして、胸が、痛む。だが、晴明が身体を寄せてくれたことが嬉しい。幸せで、胸が痛むのだ。
「――私も、チョコレートキャラメルのケーキを作った。リビングで、渡したい」
 晴明は、唇を綻ばせる。
「……はい」
 嬉しさが、強くなる。
 泰明は、ゆっくりと頷いた。


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