肴は後で


「――ツマミ、足りんな」
 宴の途中、私の隣に座っていた天狗が、ワインの注がれたグラスを揺らし呟いた。
「……まだ入るのか」
 息を吐いてから、私は尋ねた。
 今、私は聖夜の祝宴に参加している。お師匠が、この邸に天狗と泰継を招いて開いたものだ。時間にはまだ余
裕があるが、どうやら酒の肴になりそうな食材が乗った皿が全て空になってしまったらしい。随分飲んでいたの
だから、もう不要だと思うのだが。
「すまない。十分に用意したつもりだったのだが」
 向かいに座っていたお師匠が小さく頭を下げる。責任は手を止めることなく飲んでいた天狗にあるのではない
だろうか。
 そう思ったとき、隣席の天狗が勢い良く立ち上がった。
「構わん。何か適当に買って来よう。泰明、お前も付き合え」
 突然の指名に、私は目を見開いた。
「何故、私が……」
 一度深く呼吸をしてから、質問した。酒を飲まぬ私が、何故肴を調達しなければいけないのだろう。それに私
は、肴として用意されたものは一度も食べなかった。
「せっかくの聖夜だ。ひとりじゃつまらんからな」
 だが、天狗は鞄を提げながら、笑ってこちらを見つめていた。
 鼓動が、速くなる。
 理に適わぬ誘いだとは思う。だが、僅かな時間でもふたりで過ごせることは、嬉しい。
「――分かった。泰継、お師匠。少し離席します」
 短い沈黙の後、私も立ち上がった。
「分かった」
「構わない。気を付けて行って来なさい」
 ふたりに見送られながら、私と天狗はリビングを後にした。

「どこへ行く?」
 天狗の背中に、問いかける。私は、どこで何を買うべきなのか良く分からぬのだ。
「お前の部屋」
 天狗は、表口とは逆の方角へ歩きながら答える。だが、私は驚いて立ち止まり、口を開いた。
「……私の部屋に食べるものはない」
「それくらい分かっておる」
 肴はおろか、私の部屋に食材は何ひとつない。だが、天狗は気にする様子もなく、静かに扉を開け、私の部屋
に足を踏み入れた。
 私も、早足で部屋に入る。だが、天狗の意図は読めなかった。
「天狗……」
 理由を訊くため、呼びかけたとき、天狗は扉を閉めながら唇を動かした。
「酒はもう十分だったが、お前と抜け出したくてな。ツマミは、後で買おう」
 私の瞳を覗き込む天狗。
「――何故、だ」
 頬が熱い。俯きながら、尋ねた。
 私とふたりになりたいと思ってくれたことは、嬉しい。だが、突然祝宴を抜けるなど、よほどの理由があるので
はないだろうか。
「これを渡そうと思ってな」
 天狗は提げていた鞄をそっと開け、綺麗な紙に包まれた箱を持ち、私に見せた。
 聖夜の贈りもの、ということなのだろう。
 天狗がこの部屋に私を連れて来た理由が、ようやく分かった。
 胸が、満たされて行く。
「……ありがとう」
「結構重いから、気を付けろ」
 小さく礼を述べながら手を伸ばしたとき、忠告をされた。
 腕に、力を入れながら箱を受け取る。確かに、見た目よりもずっと重さを感じる。
「……何が、入っているのだ?」
「開けて良いぞ」
 不思議に思いながら質問すると、中を見ることを許可された。
 頷いて、箱を机まで運び、上に置く。それから慎重に紙を剥がし、ゆっくりと蓋を開ける。
 ガラス製の小さな盾が、そこにはあった。
「……賞品のようだな」
 聖夜を祝う言葉、そして、私への感謝の言葉が刻まれていたが、それは功績を残した者に贈られる品を彷彿と
させた。
 天狗は、そっとこちらへと歩み寄る。そして、口を開いた。
「賞品でもある。抵抗はしても、最後はいつも儂に応えてくれる。お前は、評価するに相応しい奴だ」
 その瞳は、とても優しかった。頬に熱を感じ、思わず横を向く。
 何度か呼吸をしてから、私は唇を動かした。
「……褒められるようなことではない。私は自らの想いに従い、お前の傍にいるのだ」
 幸せだと思うから、私は天狗の傍にいる。それだけのことだ。
 鼓動が速かったので、下を向く。その直後、頭に温もりを感じた。
「――そんな言葉をくれることも嬉しい。だから、それは飾っておいてくれ」
 視線を上に向けたとき、天狗の声が聞こえた。笑顔で、私の頭に置いた手をそっと動かしている。
「……分かった」
 そっと、頷いた。この盾は、ずっと大切にする。
「では、戻るか」
 私の頭から手をどけ、天狗は背を向ける。
 だが、伝えなければいけないことがある。私は、呼び止めた。
「――待て。私も、お前に贈りたいものがある」
 私も、聖夜の贈りものを用意しているのだ。この部屋にしまっているので、受け取って欲しい。
「それは楽しみだ」
 天狗は歩みを止め、笑顔でこちらに視線を向けた。
 そっと引き出しを開け、中にあった小さな箱を取り出す。
「……これだ」
「ありがとう。中、見るぞ」
 差し出すと、天狗はそれをすぐに受け取ってくれた。中を、確かめたいらしい。
「――分かった」
 小さな声で、返答する。気に入って貰えるだろうか、と、不安が過った。
 天狗はそっと紙を剥がし、箱を開ける。
 そして中を見たとき、口を開いた。
「……薬か」
 その言葉に頷いてから、説明した。
「――美酒も、取り過ぎれば悪だ」
 天狗に贈ったのは、酒席などでも使えるよう薬草を詰めた小さなカプセルだ。今日もそうだが、天狗は良く酒
を飲む。そのため、役立ちそうだと思ったのだ。
「……手作りなのか。ありがとう、泰明」
 カプセルの入ったケースを持ち、天狗は唇を綻ばせる。
 喜んで、貰えたらしい。
「……良かった」
 安堵の息を吐いてから、私は、呟いた。
 が。
「早速試してみよう。お前が唇で飲ませてくれたら、より効果を得られそうな気がするな」
 その言葉に、目を見開いた。
 反応出来ず、私は口を噤む。だが、天狗は目を逸らさず、笑顔で私を見つめていた。
 引き下がる気配はない。私は息を吐いてから、天狗の持っていたケースを受け取った。
「……一錠だ」
 小さく告げてから、口にカプセルを一錠含む。
 直後、私の唇は天狗に塞がれ、カプセルもあちらへと移って行った。
 そして。解放されたとき、私は鼓動の速さを感じながら天狗を見た。喉が、動く。水はないが、飲み込めたよう
だ。
「――やっぱりお前は、賞美するに相応しかったな」
 天狗は満足したように笑いながら、私を腕の中に抱きしめた。
「……うるさい」
 小さく、声を上げる。だが、そこから出ようとは思わなかった。


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