酒と体温

  白い息と共に、泰継は天狗に尋ねた。
「天狗、大丈夫なのか?」
「心配するな!いつもと変わらん」
 両腕を大きく広げ、天狗は泰継を見る。声は弾んでおり、頬は微かに赤く染まっていた。
「そうか……」
 これ以上問いかけても意味がないだろう。湿った冷気を感じながら、泰継は先ほどまでの出来事を思う。
 クリスマス・イブである今夜、晴明と泰明の家で開かれた宴に、泰継は天狗と共に参加した。仕事が長引き少し
遅れて来た天狗も、宴を大いに楽しんでいたようだ。
 しかしその内に、天狗は持って来たワインをテーブルに並べ、晴明と飲み比べを始めた。アルコールの満ちた
瓶と共に宴にやって来たのは、その勝負をするためだったらしい。全ての瓶が空になったとき、そこにはいつもと
変わらぬ晴明と、普段よりも上機嫌になった天狗がいた。
 そして今、泰継と天狗はマンションへと歩を進めている。
 泰継は、隣を歩く天狗を見上げた。
 気分は高揚しているようだが、足取りはしっかりしている。彼は理性を失ってはいないようだ。常人ならば歩くこ
とすら出来なくなるほどの量を飲み干したというのに、身体の不調を訴えることもない。酔いが回ったことにより危
機が訪れることはないだろう。
 泰継は安堵し、小さく息を吐いた。
 天狗が酒に強いということは知っている。だが、それでも彼の身体を案じてしまうのだ。
 そっと、視線を元に戻す。
 そのとき、芯まで冷えた空気を肌に感じた。同時に、白く柔らかなものが天から舞い始める。
「――おお!」
 天狗は立ち止まり、空を仰いだ。
「――雪か」
 泰継も同じように冬の夜空を見上げる。小さな粒が地上へと降りて来ていた。
「いやー、また降り出したか!綺麗じゃなあ」
 宴の前にも少し雪は降っていた。それが再び舞い始めたようだ。
「――そうだな。天狗、傘は持っているか?」
「いや、持ってはおらん」
「そうか……」
 泰継は携えていた鞄を開け、中から色の違う二本の折り畳み傘を取り出した。備えを怠りがちな天狗のために
いつも持ち歩いているのだ。
「おお、気が利くな!」
「行くぞ」
 天狗に傘を渡してから、泰継も自分のものを開こうと傘を覆う袋に手をかけた。
「――泰継、寒くはないか?」
 袋を外したとき、天狗に尋ねられた。手を止め、その質問に答える。
「……少し寒い。お前は温かいのだろうな」
 天狗は元より体温が高い。今纏っているコートも、泰継のものよりも大分生地の薄いものだ。その上、アルコー
ルの摂取により頬は仄かな朱を帯びている。雪の中にいてもそれほど身体は冷えないのだろう。
「まあな。だから……」
 天狗は折り畳み傘を手に持ったまま、泰継の目の前に立った。
「天狗……?」
 どうしたのだろう、と思いながら、泰継は天狗の顔を見上げる。
 すると、両の腕が自分へと伸びて来た。
「こうすれば、少しは温かいだろう?」
 心地良い温度に、包まれていた。天狗に抱きしめられたのだ。全身に彼の体温を感じる。
 外気は冷たいはずなのに、身体は温かかった。
「――これでは歩けぬ」
 速くなった鼓動を感じながら、泰継は言った。抱きしめられたままでは帰れない。それに、他に人がいないとは
いえここは歩道だ。
「んー、それもそうか」
 泰継が言うと、天狗は腕を離した。
「だが――とても温かくなった」
「そうか!それなら良かった」
 天狗は顔を綻ばせた。その笑顔を見ると、鼓動は更に速くなる。
「――行こう、天狗」
 一度深く呼吸をしてから、泰継は傘を開いた。
「ああ。泰継、家に帰ったら温かいコートが用意してあるからな。儂からのプレゼントだ」
 傘を差しながら、天狗は笑顔で言った。
「――分かった、ありがとう」
 傘を並べて、広い歩道を二人で歩く。泰継は、天狗の横顔を見た。
 もともと積極的な天狗だが、普段、外で突然自分に触れることはほとんどない。先ほど急に抱きしめてきたのは
アルコールのせいでもあるのだろう。身体に不調をもたらすことはないが、やはり酒は控えたほうが良いのかもし
れない。
 プレゼントにワイングラスを用意すべきではなかったのだろうか。しかし、彼の温度は心地良かった。そう思い
ながら、歩を進めた。


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