寂しげな横顔 気に入りの松の枝に腰かけ、天狗は悠々と秋の空を見つめていた。 (良い天気じゃな……) 小さく欠伸をする。しかしそのとき弱々しい女の声が聞こえ、天狗は耳を傾けた。 「――お願いします、最も位の高い天狗様に会わせて下さいっ……」 「お、おいアンタ、大丈夫か?」 「人間の女が、病を押してまで何を……」 仲間の天狗も戸惑っているようだ。どうやら、病身の女人が北山を訪れたらしい。 (しかも、儂に会いに来たのか?) 怪訝に思った天狗は、翼を広げ声のする方へと向かった。 「一体何があった?」 「大天狗殿!実は……」 若い天狗が事情を説明しようと口を開く。だが、そこにいる女人の顔には見覚えがあった。 「お前は、晴明のところの……!どうしてここに?」 そこにいたのは、大切な友である晴明の妻だった。直接言葉を交わしたことはない。だが、晴明と共に歩いて いるところを幾度も見た。 「ああ……大天狗様、やはりご存知でしたか。そうです、私は晴明の妻でございます……」 女人は天狗の顔を見ると、深く一礼した。 「お前は……どうして儂のことを知っている?」 「夫の身体から……非常に高い天狗の霊力を、いつも感じておりました。澄み切った神通力は、最高位の証です。 私は、あなたにっ……」 そこまで言って、胸を押さえてうずくまる。 「おい、どうした!?」 慌ててその身体を支える。女人は大きく咳き込み、苦しそうに息をしていた。 「お、大天狗殿……」 「――お前たちは庵へ戻れ。儂が話を聞く」 天狗が言うと、若い天狗二人はそれに従い去っていった。 (こんな身体で……気だけを頼りに儂を探しに来たのか?) 天狗の力を感じられたということは、非常に優れた霊力を内に秘めているのだろう。だが、このような身体で北 山へ赴くのは容易ではなかったはずだ。 一体何故、と思っていると、女人は辛そうな息の下で、ゆっくりと言葉を紡いだ。 「――大天狗様。私の命は今まさに尽きようとしています。私の最後の望みを、聞いてはいただけないでしょう か。あなたにしか頼めないことなのです………」 「――ああ、聞こう」 命を救うことは、天狗の力を持ってしても出来そうにはない。だから、せめて望みだけでも叶えたいと思い、天 狗は頷いた。 「あ……ありがとうございます。実は夫のことなのです。あの人は多くの魑魅魍魎と接し続けたせいで……年を とることが出来なくなっています。私は、自分の人生に悔いはありません。けれど……あの人のことだけがどう しても気がかりなのです……」 「――そうか……」 確かに、随分と長いこと共に過ごしてきたが、晴明の姿は若々しいまま少しも変わってはいなかった。 「大天狗様……この命が消えたら、私の亡骸にあの人の身体にとどまった陰の気を移してはいただけないでしょ うか。あなたでなければ出来ないことです……」 女人は、天狗の目を真っ直ぐに見る。 「――分かった。約束しよう」 天狗は、女人の手を握った。非常に困難な作業となるだろうが、必ず成し遂げてみせる。 天狗の答えを聞いた女人は、微笑み、目を閉じた。 「――ありがとうございます。これで、安心して天に旅立つことが出来ます……」 「おい、しっかりしろ!」 必死に呼びかける。だが、その目が開くことはなかった。 「……お前の願い、絶対叶えるからな」 天狗は亡骸を抱き上げ、晴明の邸へと向かった。 「そうか、お前のところに行っていたのか……」 天狗から事情を聞いた晴明は、褥に横たわった妻の亡骸を見て呟いた。 「ああ……最期の瞬間まで、お前の幸せを願っておった」 「そうか……」 寂しそうに目を伏せ、晴明は妻の頬をそっとなでた。 「――すまなかった、最期まで傍にいられなくて……」 「……」 ああ、そうだ、と天狗は思った。 (寂しげな横顔……晴明のこういうところに儂は惹かれた……) 人間に興味はある。しかし、ここまで深く付き合っているのは晴明ただ一人だ。 それは、時折見せるこのような表情に惹きつけられたからなのだろう。普段は穏やかな笑顔で不可思議な術を 操る、希代の陰陽師。だが、時にはその美しい顔に悲しげな影が落ちる。 (だからこそ……儂はお前を守りたいと思うのだろうな) 天狗は、そっと右手を握りしめた。 「お前は、幸せだったのだろうか……私の傍にいて……」 「晴明……」 掠れた声の晴明に、静かに声をかける。晴明はもう一度妻の頬をなでてから、天狗に向き直った。 「――天狗、力を貸してはもらえないだろうか?」 「――当たり前だろ。お前の妻ともそう約束した。それに……そうでなくとも、儂はお前への助力は惜しまん」 晴明が望むのならば、喜んでこの力を振るってみせる。 「……ありがとう、天狗。しかし、もしかすると私の陰の気は妻の身体に収まりきらぬほど強いかもしれぬ……」 晴明は俯き、胸に手を当てた。 「――何度も同じことを言わせるな。お前への助力は惜しまない」 どんなことがあっても、晴明のためならば耐えられる、と思った。 「……ありがとう。では、頼んだぞ」 「――ああ」 たとえ何があっても、晴明だけは守ってみせる。天狗は、そう強く誓った。 |
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