ささやかな不意打ち

 二月十四日、正午。自室でゆったりと休日を過ごしていた天狗の携帯電話に、一通のメールが届いた。
 送信者は、恋人の安倍晴明。
(アイツ、仕事だって言ってなかったか?)
 少々不審に思いながらメールを開く。そこには、近くの喫茶店にいるので今から逢えないか、と書かれていた。
突然のメールに、天狗は呆れたような表情になる。
(唐突じゃな……全く)
 しかし、愛しく思っている者からの連絡が嬉しくないわけがない。
(逢うのは構わんが……泰継と入れ違いになるとマズいな)
 天狗と同居している泰継は、今日は委員会のため学校に行っているのだ。昼過ぎには帰る、と言っていたから、
そろそろ帰ってくる頃だろう。
 少し悩んでから、天狗は着替えだけでも済ませておくことにした。素早く箪笥を開けるとパジャマを脱ぎ捨て、
一番手前にあったニットとジーンズに着替えた。それから靴下を履き、軽く髪を整える。最後に携帯電話を鞄の
中に入れてジャケットを手に持ち、部屋を出た。

 リビングのソファーに座っていると、ほどなくして泰継が帰宅した。
「天狗、出かけるのか?」
 きちんと着替えている天狗を見て泰継が尋ねる。
「おお、泰継帰ったか。これから晴明と逢うことになった。昼食もそこで食うと思う。良いか?」
「ああ、分かった」
 泰継にそう言われ、天狗は晴明に了承のメールを送信しながらマンションを後にした。

 晴明がいる喫茶店は、天狗も気に入っている店だった。歩いて行ける距離にあり、料理も美味なのだ。丈夫な
壁にテーブルが囲まれている上あまり知られていない店なので、周囲を気にする必要もない。晴明と逢う際にも
よく利用する。
 やや速足で歩き、五分ほどで喫茶店に着いた。ガラスの張られたドアを押すと、ベルの音が耳に心地よく響く。
出迎えてくれたウエイトレスに待ち合わせしているということを伝え、晴明のいるテーブルの番号を訊き、天狗
はそこへ向かった。

「天狗、こちらだ」
「ああ、分かっておる」
 晴明は、いつも待ち合わせに使っている一番奥の二人用の席に座っていた。髪を後ろで一つに束ね、簡素な服
を着ている。
「仕事が入ってたんじゃないのか?」
 晴明の向かいにある柔らかな椅子に座りながら、天狗は尋ねる。表向きは神主ということになっているが、晴
明の本業は陰陽師だ。昨日の夕方電話で話した際、怨霊の除霊を頼まれたと言っていた。
「ああ、仕事はあった。だが、お前に逢いたかったので早く片付けてしまった」
 そう言って、美しく微笑む晴明。
「……お前は、よくそんな恥ずかしいことを笑って言えるな」
 天狗は顔を赤らめ、晴明から視線をそらした。
「何を言う。愛しい人に逢いたいと思うことは少しも恥ずかしいことではないだろう」
「だからそういう――」
 天狗の言葉を晴明が遮る。
「お前も、私に早く逢いたいと思ってくれたのだろう?」
「は?何で――」
 目を見開いた天狗の癖のある髪に、晴明の手が伸びた。
「髪、乱れているぞ。走ってきてくれたのだろう?」
「なっ!?走ってなどおらん、速足で来ただけ――」
「そうか、速足で来てくれたのだな」
 楽しそうに晴明は笑う。しまった、と天狗は顔をしかめた。
「……ハメたな」
 晴明は天狗の髪を軽く引っぱる。
「何のことだ?」
「つーか髪を引っぱるな!」
 天狗に言われ、晴明は微笑んだまま手を離した。
(全く……相変わらず訳分からん)
 髪を触りながら天狗は考える。
 本来は大魔縁である自分を、ここまで変えたのは間違いなく晴明だ。初めて逢ったときは調伏されそうになっ
たが、あれほど追い詰められたのは後にも先にもこのときだけだ。当時から随分おかしな男だと思ってはいたが、
その印象は今も変わってはいない。
「――天狗、早く何を頼むか決めるぞ」
 晴明の声で、ハッと我に返った。
「あ、ああ」
 慌ててメニューに目を通していると、晴明が言った。
「そうだ、肝心なことを忘れるところだった」
「……何じゃ?」
 晴明は持っていた鞄から、センスよくラッピングされた箱を取り出した。
「バレンタインデーのプレゼントだ、天狗。先程近くの店で買ったものですまない。本当は、もっときちんとし
たものを贈りたかったのだがな」
 そう言って、天狗にプレゼントを差し出す。天狗は何も言わず、その箱を見つめた。
「……どうした、気に入らないのなら――」
「……先越された……」
「天狗?」
 天狗は肩を落とす。また、彼に先を越されてしまったようだ。
 天狗もまた、晴明に何かを贈りたいと思っていた。しかし、昨日晴明は仕事だと言っていた。今日は逢えない
だろうと思ったのだ。ならば、少し遅れてしまうが次に逢うときにプレゼントを渡せば良いと考えていたのだが。
「――いや、悪い。嬉しいが、儂は何も用意しとらん」
 晴明のプレゼントを受け取りながら、天狗は言った。
「気にするな、私が贈りたかっただけなのだから」
 晴明は微笑む。だが、それでは天狗の気が済まない。
「……分かった。じゃあせめて、今日は儂に奢らせてくれ」
 天狗が言うと、晴明は笑みを湛えて、頼む、と答えた。

 二人が注文を終えて暫くすると、ウエイトレスが料理よりも先に飲み物を運んできた。
「……晴明、それ、少し味見しても良いか?」
 コーヒーを注文した天狗は、晴明の紅茶を指差した。
「ああ、構わぬ。では――」
 晴明はカップとソーサーを天狗に差し出そうとするが、天狗は席から立ち上がった。
「てん――」
 開かれた晴明の口を自身の唇で塞ぎ、舌を入れる。晴明は一瞬目を丸くしたが、すぐに天狗の舌に応じた。ゆ
っくりと、互いに舌を動かす。
 口当たりの良い紅茶の温かな甘さが、天狗の口にも広がった。

「いつもお前に先を越されるのは癪じゃ」
 一時間後、食事を終えた二人は喫茶店の外にいた。
「ふふ、お前がいきなりキスをするなんてな。びっくりしたぞ」
 晴明は微笑する。
「……お前、全然驚いてないだろ」
「そんなことはない。とても驚いたぞ」
 天狗はため息を吐いた。本当に変わった男だ――しかし、そんな晴明がどうしようもなく好きなのだ。
「……そろそろ帰るか」
 天狗が言うと、晴明は答えた。
「ああ。本当は、もう少し一緒にいたいのだがな」
「……儂もじゃ。だから、せめて家まで送らせてくれ」
 天狗の優しい声に、晴明は微笑み、頷いた。






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