記された文字

  周囲も静まりかえった秋の夜更け、ベッドで眠っていた泰明は外から神聖な気を感じ、身を起こした。
(この気は……まさか)
 ベッドから降り、カーテンのかかった窓に音を立てぬように近付く。ガラスの向こうの気配は、やはりよく知
っているものだった。小さく息を吐いてから、手をかけ一気にカーテンを開ける。
「――天狗、そこで何をしている」
 窓から見える人物――天狗に声をかける。普段は人と変わらぬ姿をとっている天狗だが、今は本来の姿に戻っ
ていた。背中の大きな翼をはためかせ、二階にある泰明の部屋に近付いていたのだ。ただ、下半身にはジーンズ
を纏っているものの上半身には何も着けていない。恐らくは広げた翼により破けてしまうことを嫌ったのだろう。
「おっと、気付かれたか」
 天狗は少し驚いたように声を上げた。
「――部屋に入れ」
 泰明は窓の鍵を開けた。このような姿を他の者に見られたら騒ぎになるだろう。
「おお、入れてくれるのか?」
「誰かに見られたら困るだろう!」
 笑みを浮かべる天狗にやや強い口調で返す。
「それじゃ、失礼するぞ」
 しかし天狗はそんな泰明に構わず、笑顔のまま部屋の中に入って来た。

「それで、お前は一体何を――」
 電気を点けてからベッドに座り、理由を訊こうと口を開く。
「――泰明」
 だがその問いは遮られた。天狗が手首を掴み、泰明の身体をベッドに沈めたのだ。
「天狗っ、何を……」
「――誕生日、おめでとう」
 真上には、真剣な表情をした天狗の顔があった。
「あ……」
 現在の日時は九月十四日、午前二時三十八分。確かに、泰明がこの世に生み出された日だ。
「せっかくだからこっそりベッドに入って驚かせようかと思っておったのだが……気付かれてしまっては仕方な
い」
「――そんなことのためにここまで来たのか」
 泰明はため息を吐いた。天狗の考えはいつも不可解だ。
「儂にとっては重要なことだ。ほら、泰明」
 天狗はジーンズのポケットからラッピングされた長方形の箱を取り出した。
「――これは?」
「プレゼント。ありがたく受け取れ」
「天狗…………ありがとう」
 右手を伸ばし、その箱を受け取った。胸に熱が広がって行く。
「――どういたしまして。のう、泰明」
 言いながら、天狗は再び泰明の右手首を掴んだ。その拍子に、手の中にあったプレゼントが枕元に転がる。
「――何だ?」
「明日――いや、今日は何か予定があるか?」
「――ない」
 ごく小さな声で泰明は答えた。今日は何の予定もない。
「そうか。偶然にも儂も今日は仕事は休みだ。泰明……」
 天狗の唇が泰明に覆い被さった。長く、深い口付け。それを終えると、天狗は泰明が着ているパジャマのボタ
ンにそっと手をかけた。
「――っ、天狗!」
 突然の行為に泰明は天狗の胸を押しのけた。天狗は手を止め、低い声で言う。
「――嫌か?嫌なら、このまま帰るが」
「……状況が分からぬのか?家にはお師匠もいる。気付かれたら――」
「ドアに鍵も掛かっているし、気付かれないと思うぞ。お前がやたら大きな声を出したりしなければ、な」
 天狗の喉が、笑いで少し震えた。
「な……それはお前が――」
 泰明の頬が薄紅色に染まる。そのような声を出させているのは他ならぬ天狗ではないか。だが、その反論は意
味を為さなかった。
「泰明、先ほどの質問の答えを聞いていない。嫌なのか?」
 耳元で天狗が囁く。身体中が熱くなり、泰明は固く目を閉じた。
「――嫌、ではない」
 天狗は泰明の答えに満足そうな表情を浮かべると、もう一度パジャマのボタンに手をかけた。

(……朝か)
 眩しい光を感じ、泰明は目を開けた。背中に天狗の温度を感じる。後ろから彼にしっかりと抱きしめられてい
るようだ。
「ん……泰明」
 身動き出来ずどうしようかと考えていると、丁度天狗が目を覚ました。
「――起きたのか」
「ああ。お早う、泰明」
 天狗は腕を離し上半身を起こすと、大きく伸びをした。
「……お早う。早めに帰ったほうが良いのではないか?泰継もいるだろう」
 起き上がりながら泰明は言った。壁にかかった時計は六時半を差している。今日は休日だが、規則正しい生活
を送っている泰継はそろそろ起きる時刻だろう。
「あー、泰継には、晴明と約束があるから夜中に家を出る、と伝えておいた」
「そのような嘘を……」
「――泰明を押し倒して来る、と、正直に言ったほうが良かったか?」
 天狗は笑いながら泰明の顔を見る。
「なっ……!?」
 頬に熱が集まる。いきなり何を言い出すのだ。
「まあ良い。ところで泰明、出来ればシャワーを浴びてから帰りたいのだが」
 床に落ちていた下着とジーンズを着ながら天狗は言う。
「――その格好のまま帰るつもりか?」
「ああ、シャツと靴は召喚出来るはずじゃ」
 確かに天狗の神通力を使えばそれくらいは容易いだろう。だが。
「――しかし……お師匠が」
 家には晴明がいる。まだ眠っているかもしれないが、もしも天狗がこのような格好で歩いているところを見ら
れれば言い訳は出来ない。
「ああ、気付かれんように上手くやる。借りるぞ」
 天狗はベッドから降りると、部屋のノブに手をかけた。
「……分かった」
 それを止めることも出来ず、泰明はただ天狗の後ろ姿を見送った。

(天狗……見つからなければ良いが)
 ベッドの上で、泰明は一人考えていた。先ほどまで彼がいた場所をそっとなでる。
(――そういえば)
 ふと、枕元を見る。シーツは少し乱れていたが、目的の物は変わらずそこにあった。
(この箱を、まだ開けていなかったな)
 天狗から贈られたプレゼントをまだ確かめていなかったのだ。包装紙を丁寧に剥がし箱を開ける。中には、機
能的な腕時計が入っていた。
(良いデザインだ……これは?)
 手に取ろうとして、泰明は箱の中に小さなカードが入っていることに気付いた。不思議に思い、中から取り出
す。
(――これは)
 泰明は息をのむ。そのカードには、天狗の字でこう記されていた。
『愛している』
 たった一言。だが、泰明にとっては何よりも嬉しい言葉だった。
「天狗……」
 呟いたそのとき、ドアの向こうに天狗の気を感じた。慌てて、カードと箱と包装紙を枕の下に隠す。
「――泰明」
「――どうした?」
 予想通り、天狗は部屋の中に入って来た。しかし、どこか様子がおかしい。
「――晴明は出かけたらしい。こんな書き置きがあった」
 天狗は、近くの喫茶店で朝食を摂り、そこでしばらくゆっくりして来る、と書かれた一枚の便箋を泰明に見せ
た。
「……そうか」
 天狗との仲を晴明に話したことはない。だが、聡明な師は全てを知っているようだ。
「――泰明。一緒に、シャワー浴びるか?」
「…………ああ」
 真っ直ぐに見つめる天狗に、泰明は小さな声で返事をした。


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