浮かんだ場面

 九月十三日、午後十一時五十六分。翼を広げ星を眺めながら、天狗は空を進んでいた。下肢にはジーンズを纏
っているが、上半身と足には何も着けていない。上衣は羽根で突き破ってしまうだろうし、部屋に入るのに靴は邪
魔になるからだ。しかし、今は夜だ。空高く飛んでいれば、誰かに目撃されるということはないだろう。脇に抱えた包
装した箱を落としてしまわぬよう、力を込める。
 目的地まであと僅か。そう思うと、自然と速度は上がって行く。風を切り、天狗は夜を駆け抜ける。
 ほどなくして、目的としていた家に着いた。逢いたいと思っていた人の顔を見るため、息を一度吐いてから二階の
窓に近付く。
 それとほぼ同時に、カーテンが開いた。
「――天狗」
 鍵と窓を開けながら、パジャマ姿の泰明がこちらを見る。天狗は、彼の部屋へと素早く滑り込んだ。まだ眠っては
いなかったのか、灯りは点いている。
「おお、泰明」
「……何をしに来た」
 不機嫌そうな表情を浮かべているものの、追い返す気はないようだ。天狗は安堵感を覚えつつ、窓とカーテンを
閉めた泰明に顔を寄せた。
「んー、お前に逢いたくてな」
 邸内にいる晴明に聞こえてしまわぬよう、天狗は出来る限りの小さな声で言う。
「……玄関から入れば良いだろう」
「いや、一刻も早くお前のもとへ行きたかったのだ」
 確かに、玄関から来たとしても晴明は快く招き入れてくれただろう。だが、それでは挨拶などで泰明に逢うのが遅
れてしまう。
「――何か用か?」
 泰明は驚いたように尋ねる。天狗は一度壁にかかった時計を見てから、彼にその答えを告げた。
「――誕生日おめでとう、泰明」
 時計の針は十二の位置で重なっている。九月十四日は、泰明の誕生日だ。
「あ……」
「……最初に伝えたくてな。まだ晴明にも言われていないか?」
 短く声を上げた泰明に問う。日付が変わる前に誰かから祝いの言葉をかけられてはいないだろうか。
「――お前が一番だ」
 しかし、懸念は無用だったようだ。泰明は、自分が最初だと教えてくれた。不安が消えた天狗は、抱えていたもの
を彼に差し出す。
「――良かった。では、これをやろう」
「――ありがとう」
 少し俯きながらも、泰明は両の手でそれを受け取ってくれた。だが、彼に中身を気に入ってもらえれば、嬉しさは
更に増すだろう。
「――ああ。泰明、中のものを出してくれないか?」
「分かった」
「――どうだ?」
 近くにあったベッドに箱を置き丁寧な手つきで包装を解いた泰明を、見つめる。
 彼への贈りものには、黒いショートブーツを選んだ。泰明に合いそうな、落ち着いた形をしている。
 決定にはやや苦労したが、この見立ては正しかったのだろうか。
「……良い色と形だと、思う」
 しばらくはブーツに向けていた視線を天狗に移し、泰明は言った。
「――そうだろう。一度、履いてみてくれんか?」
 泰明は瞳を逸らさない。どうやら、判断は間違っていなかったらしい。顔が綻ぶのを感じながら、天狗は彼に要望
を伝える。
「――ここでか?」
「……今宵はお前に無理をさせるわけにもいかない。儂はこのまま帰るつもりだ。せめて、お前がこれを履いてい
るところを見ておきたい」
 室内で靴を履くということがあまり一般的でないとは理解している。しかし今日は平日だ。彼に負担はかけられな
い。だが、贈ったブーツを装着した姿を見せて欲しいのだ。
「――分かった」
「――そうか。では、儂が履かせてやろう。ベッド、座れ」
 彼よりも早く箱から靴を出し、腰を下ろすよう促す。少しで良い、泰明に触れたいのだ。
「天狗っ……」
 泰明は手を伸ばしたが、双眸を見て念を押すと言葉に従ってくれた。ベッドに座った彼の前に両膝を付け、下肢
を覆う布の裾を片手で上げながらゆっくりとショートブーツに足を通す。
「――ああ、やはり似合うな」
 どちらの足にも靴を履かせ、天狗は目を細めて呟いた。大きさも色も形も、泰明にとても合っている。
 そして、天狗はあることを連想していた。
「――そうか」
「泰明……」
「――どうした?」
 具合を確かめるかのように少し足を動かしていた泰明が、首を僅かに傾ける。自分が何か考えごとをしていると
いうことが分かったのだろう。
 頭に浮かんだ考えを、彼に伝えた。
「……シンデレラのようだと、思っていた」
 祈るような体勢で靴に足を通すという状況に、あの物語を思い出していたのだ。
「――童話か?」
「ああ。シンデレラを見付けた王子が、ガラスの靴を履かせて本人だと知る場面があるだろう。そこのようだと思っ
ていた」
 捜し求めていた姫君の存在を確かめる場面。先ほど、頭に浮かんだのだ。
「――私は姫ではない」
「ははっ、それはそうだな。だが――儂にとっては姫のような存在だぞ」
 彼の足首をなでながら、眉を寄せる泰明に告げる。王子にとってのシンデレラは、己にとっての泰明だ。
「……姫は女だ」
 仄かに頬を染め、彼は顔を横に向けた。だが、泰明が女性のようだと言っているわけではないのだ。
「――そういう意味ではない。とても大切な人だという意味だ。もしも……儂が王子だったら、靴などなくても必ずお
前を見付けてみせる」
 きちんとした性格の彼が、何ひとつ残さずに去ってしまったとしても。絶対に泰明を捜し出し、逢いに行くだろう。
「――天狗……」
「――それ以前に、魔法が解けてもお前を逃がさないな」
 隠すように顔を伏せた泰明。立ち上がり、その頭にそっと掌を乗せた。十二時を過ぎたとき彼がどのような姿に
なっていても、抱きしめて帰さない。自分は王子などという柄ではないが、本気でそう思っている。
「――そうか……」
「……では、またな」
 もう、行かなくてはならない。名残惜しさを感じながら、天狗は彼の髪を手に取った。泰明は顔を上げる。
 愛しいという想いを込め、一瞬だけ美しい髪に唇を寄せた。


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