笑い声は

「泰明」
 天狗が名を呼ぶと、傍らに立っていた彼はすぐに双眸をこちらに向けた。
「何だ……」
 泰明の言葉が終わるよりも前に、唇を重ねる。
 少し前、彼はこの北山を訪ねて来てくれた。普段より早く一日の務めが終わったのだそうだ。陽は微かに傾い
ているが、まだ空は明るい。そこで、泰明と二人で過ごそうと決めたのだ。
 あまり遅くならない内に邸へと送るつもりではいるが、僅かな間でも彼といられるのは嬉しい。そのような想い
が湧いて来て、ふと、唇を合わせたくなってしまったのだ。
「――驚いたか?」
「……ああ」
 接するのを止め、質問すると、泰明は小さく返答して俯いた。頬は仄かに色付いている。軽いものだったが、
やはり彼の体温は上昇したようだ。
「ははっ、そうか」
 予想通りの反応につい吹き出してしまう。しかし、このようなときの泰明は非常に愛らしいため、仕方がない
のだ。
「――天狗」
「どうした?怒ったか?」
 そのとき、彼の真っ直ぐな視線が自分へと移された。からかいが過ぎ、怒らせてしまったのかもしれない。
 しかし、泰明は首を横に振った。
「……そうではない。お前の笑い声が良く響いている、と思っていた」
 元来、天狗の声は大きい。あまり意識していないが、笑ったときは尚更だろう。
「――そうか。うるさいか?」
 不愉快だったのだろうか、と、彼に尋ねる。しかし、泰明は先ほど怒ったのか、という問いを否定した。この可
能性は薄いはずだ。
 泰明は迷ったようだったが、ほどなくしてまた首を横に振った。
「……そうは言っていない」
 案の定、彼を不快にさせていたわけではないらしい。そして、泰明の瞳には、微かだが穏やかな光が灯ってい
る。
 恐らくは、自分の笑い声を好ましく思ってくれているのだろう。
「……泰明。儂の笑い声、これから先も何度だって聞かせてやるぞ。お前が傍にいてくれるなら、な」
 自身の気持ちを伝えた。彼が一緒にいてくれるのならば、この笑い声は途絶えない。
 いつも、幸せでいられるからだ。
 泰明は口を噤んだ。しかし、意味を理解してくれたのだろう。
 短い沈黙の後、彼は柔らかな表情で頷いた。


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