忘れものと話

「――泰明」
 宴の終わり。天狗は、傍らにいる者の名を静かに呼んだ。
 現在、晴明と泰明の暮らすこの家では聖夜の宴が開かれている。だが、あらかた料理も尽きた。そろそろ幕を
下ろさなければならない時刻だ。
 しかし、天狗には宴中にしておきたいことがあった。
「何だ?」
 泰明がこちらを向く。息を吐いてから、天狗は口を開いた。
「実は、先日お前の部屋に忘れものをしたようでな。取りに行っても良いか?」
「……構わないが」
 やや訝しげな表情を浮かべてはいるが、泰明は了承してくれた。これで、彼の部屋へ行くことが出来る。
「そうか。では晴明、行ってくる。泰継、少しだけ待っていてくれ」
 近くにあった自分の鞄を手に持ち、少しの間ここからいなくなることを二人に伝える。
「分かった」
「ああ」
 晴明と泰継の返事を聞いてから、天狗は泰明の後に続き目的地へと歩を進めた。

「一体何を……」
 先に入室した泰明は、忘れたものが何なのか知りたいようだ。唇から出かかっているのは詳細を尋ねる言葉だ
ろう。
 それを聞くよりも早く、天狗は後ろ手にドアを閉めた。鞄を床に置き、背中側から彼を両腕で包み込む。
「――嘘だ」
 耳元に口を寄せ、低い声で囁く。一瞬、泰明の身体が跳ねた。
「……何がだ」
 僅かな沈黙の後、泰明は言った。表情は窺えないが、頬と耳が薄い紅色に染まっていることが分かる。
 唇の位置はそのままに、彼の問いに答えた。
「忘れものなどしていない」
「……では何故そのようなことを言った」
 泰明は顔だけをこちらに向ける。眉を寄せてはいるものの、本気で拒んでいるわけではなさそうだ。
 腕を解き、天狗は鞄の中からある包みを取り出した。
「――忘れものはしていないが、やり残したことがあってな。ほら」
「……これは?」
 泰明は大きく双眸を開ける。包みを持った手を近付けながら、彼に説明した。
「プレゼントだ。なかなか渡せなくてな」
 宴の途中で二人きりになることはなかなか難しい。嘘を吐いてまでここに来たのは、どうにかしてこれを贈りた
かったからだ。
「――ありがとう」
 少し迷ったようだったが、ややして泰明は包みを受け取ってくれた。そのことに、ひとまず天狗は安堵する。
「――ああ。中、見てみろ」
 だが、品を喜んで貰えなければ意味がない。微かな心のざわめきを感じながら、中身を確かめるよう彼に促す。
 泰明は頷き、丁寧に包装を開けて行った。
「……手袋」
 出てきたものを目にして、彼は呟いた。
 天狗が泰明のために選んだのは、無地の手袋だ。何も模様は入っていないが、使いやすく温かそうなものを用
意した。
「――ちゃんと、はめろよ。まあ、気に入らなかったら仕方がないが」
 大きさなどは間違っていないはずだ。彼の好みも知っていると思う。しかし、泰明とは性格も嗜好も一致しないこ
とが多い。彼がこの手袋に満足してくれるという保障はどこにもない。
「――はめる」
 しかし、ごく短い一言が天狗を不安から救ってくれた。小さいものの、その声には確かな喜びが表れている。手
袋は、彼に強く抱きしめられていた。
「……そうか」
 顔が綻んでいることが自分でも分かる。大切な人が贈った品を気に入ってくれた。そのことが本当に嬉しいの
だ。
 そう思っていると、不意に泰明が近くの机に手袋を置いた。それから素早く引き出しを開け、中から何かを取り
出す。
「――私も、お前にこれを贈る」
 何をしているのだろう、という疑問を抱いたのとほぼ同時に、泰明が手にしたものを差し出した。綺麗な紙に覆
われた箱だ。
 クリスマスの贈りもの、ということなのだろう。
「……ありがとう。開けても良いか?」
「――ああ」
 目を細めながら訊くと、泰明は小さく返事をした。
 なるべく傷付けぬように紙を剥がし、現れた箱の蓋をそっと開ける。
 中に収められていたのは、ネクタイだった。
「ネクタイか」
「……ああ。どう思う?」
 呟くと、泰明に質問された。反応が気になるのか、瞳が揺らいでいる。
 視線を合わせ、素直な感想を述べた。
「良いな。それに、お前らしい」
 飾り気はない。しかし、相当上質なもののようだ。華美ではないが、服に埋もれることなく映えることだろう。落ち
着いたものを好む彼らしい選択だ。
「――そうか……」
「……泰明、ネクタイは結べるか?」
 表情を和らげた泰明に、ふと頭に浮かんだことを尋ねてみた。
「――実際にしたことはないが、やり方は知っている」
 少し考えたようだったが、泰明は答えた。賢い彼ならば、それでも対応は出来るだろう。
 天狗は、あることを頼むために唇を動かした。
「――そうか。では儂に結んでみろ」
 強いるつもりはない。だが、嫌でなければこのネクタイを彼に結んで欲しいのだ。
「――今、か?」
「……ああ。将来、何かの役に立つかもしれないぞ」
 想像していた通り、泰明は驚いたようだ。しかし、まだはっきりと拒否されたわけではない。聞き入れて貰おう
と、少し食い下がる。
「――分かった」
 ほどなくして、泰明は頷いてくれた。どうやら、聞き入れて貰えたようだ。
 彼は箱の中からネクタイを手にすると、そっと天狗の首筋にかけた。美しい五本の指が、眼下でゆっくりと動い
ている。
 思っていたよりも早く、ネクタイは結び付けられた。
「――上手いな。初めてとは思えん」
 先端を触りながら、天狗は感嘆の声を上げた。他人にネクタイを着けさせるのは難しいと聞くが、初めてとは思
えないほど形が整っている。今の服装とは不釣合いだが、泰明がしてくれたものだ。そのようなことは気にならな
かった。
「――そうか」
「……近いな」
 そして、ネクタイを結ぶ際、必然的に身体はかなり近付く。
 このような状況で、想いを抑えられる者がいるだろうか。
「天狗……?」
 不思議そうな顔をする泰明を、傍にあったベッドに押し倒す。
 彼は何かを訴えたいようだったが、それよりも先に問いかけた。
「――泰明。お前と話したいことがあるから、と晴明に告げて儂がここに泊まったら、怒るか?」
「――話があるのか?」
 戸惑ったような表情の泰明に、尋ねられる。やはり彼は純粋だ。天狗は、喉を震わせた。
「……もっとお前と二人で過ごしたいだけだ。忘れものを取りに来た、という理由では、あと少ししかここにいられな
いだろう。まあ……それでも出来なくはないが」
 首の側面に、唇を寄せる。
「――天狗っ!」
 泰明は天狗の肩を掴んだ。だが、頬は仄かに色付いている。
「――で、怒るのか?」
 泰明の瞳を覗き込む。もしも彼が不快だと言うのならば大人しく帰ろう。だが、そうでなければ。
「……怒らない」
 顔を横に向けた泰明から、小さな声が届けられる。
「――そうか。では待っていろ」
 晴明には、きっと上手く伝えてみせる。そう思いながら、天狗はベッドから下りた。


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